ゆとり第1世代、就活中にリーマンショック発生…「受難の世代」31歳女性がUターンするまで

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就活中にリーマンショックという不運

 大学1年の夏で既に就職について考えているとは早い……。私、大学1年の夏、何していたっけなと思い起こすと、中高時代の厳しい家庭の抑圧から解放され、派手な服を身にまとって顔面にピアスを開け、ヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れていたことしか思い出せない。もちろん、勉強もしていたが、就職のことなんてこれっぽっちも考えたことがなかった。

「私、昔から音楽が好きで、ラジオで好きなアーティストの新曲を聴きながら歌詞を書き起こして、いざCDを買ったとき、実際の歌詞と、自分で書き起こしたものが合っているか答え合わせをするという趣味があったんです。だから、憧れのアーティストといつかお仕事をご一緒したいという夢があり、テレビ制作に携わる仕事がしたいと思っていました」

 やがて就活の季節がやってきた。私は明るかった髪をしぶしぶ黒く染め、着慣れないスーツを着て説明会や就職試験会場に足を運んでいた。もっと遊びたく、はっきり言ってやる気はゼロだったが、売り手市場での就活を経験していた一つ上の先輩たちから「うちの大学はそこそこ良い大学だから、大学名さえ書けば通るよ」と言われ、本気でそれを信じていた。

 事実、適当に書いたエントリーシートと、何も対策をせずにボヤボヤしながら面接に挑んだ企業では最終面接まで残った。就活なんて楽勝じゃん。そう思っていたら最終面接で落とされた。

 そしてその数週間後、リーマンショックが世を襲った。その後は不況の影響でどこもかしこも内定が出ないどころか、説明会が瞬時に満員になって参加できない。説明会に出ないと就職試験を受ける権利さえもらえないので、就活自体が嫌になり、しばらく就活を止めて遊んでいた。

 マミさんも放送作家のアシスタントとして現場仕事を学びつつも、一応マスコミ系にしぼって就活はしたが、なかなかうまくいかない。短大を出て、リーマンショックが起こる前、一足先に就職をした子たちの方が良い企業に就職していることに、歯痒い思いをしていた。

 就職活動を終えたマミさんは、最終的にはアシスタントをしていた制作会社へ入社して放送作家の手伝いをすることに。放送作家の仕事は主に、企画会議への参加、リサーチ、進行台本の執筆、必要であれば現場の立ち会い、ナレーション原稿の執筆など。発信するツールが違うだけで、やっていること自体は、私や現在のマミさんがやっているライターの仕事に近い。

「就職した制作会社では給料は年齢給(年齢=月給。23歳なら23万)でボーナスはありませんでしたが、先輩方に食事に連れて行っていただくことも多く、不自由なく生活できました。

 しかし、やはり体力勝負な部分で、時には体調を崩すこともありました。若いときは少しくらい睡眠不足でも大丈夫だと思い込んで仕事を詰め込んだり、ちょうどいいリフレッシュの仕方もわからなかったので。もちろん、今は仕事に支障をきたすような無茶な働き方を回避する方法を身に付けています」

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