「イヤマ」のバッグに見た共同幻想(古市憲寿)

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 コペンハーゲン滞在中の話。僕がデンマークにいることを友人に伝えると「イヤマのトートバッグが欲しい」と言われた。イヤマと言われてすぐにピンと来なかったのだが、どうやらスーパーマーケット「Irma」のことらしい。デンマークでは一般的なスーパーなのだが、そのグッズが日本で流行しているという。

 ホテルの近所にちょうどイヤマがあったので行ってみると、確かにトートバッグが売られていた。値段は600円ほど。僕の見た限り、観光客とおぼしきアジア人が大量に購入するかを迷っているようだった。

 白いキャンバス地の何の変哲もないトートバッグである。中心に女の子の絵柄が刺繍されていて、かわいいといえばかわいい。だがそれが極東の島国で流行とは驚きである。イヤマは日本でいえば東急ストア。東急ストアのグッズ(あるの?)が、海外で人気という話は聞いたことがない。

 メルカリなどでイヤマのトートバッグには2千円以上の値段が付けられている。高級ブランドもびっくりの日本価格である。

 ガムやチョコ、ティッシュなどのイヤマのオリジナル商品も人気らしい。ある海外の旅行サイトでは「日本人がやたらイヤマグッズを買っていく」と語り草になっていた。でも確かに物価の高いデンマークのお土産にはちょうどいい。

 日本におけるイヤマの流行発信源の一つは、どうやら糸井重里さんの「ほぼ日」らしい。1990年代、糸井さんはブラックバス釣りを流行させたことがある。それは当時、画期的なことだった。「魚釣り=食べるために釣る」という人にとって、まずくて食べられないバスは釣りの対象ではなかった。しかしそれをキャッチアンドリリースと表現することで、バス釣りはお洒落な活動の仲間入りを果たす。言い換えとは魔法なのだ。

 結局のところ、価値の大部分は共同幻想だからだ。みんなが価値を感じるものに、人は価値を見出す。「他人が何と言おうと私はこれが好き」と言える人間は意外と少ない。そして、ほとんど誰も気付いていなかった何かを発見した上で、「これには価値があるんです」と他人を巻き込める人間はもっと少ない。

 ニューヨークという地名をウリにした某ブランドがある。数年前、ニューヨークを訪れた時に、せっかくだからと思い、そのブランドの旗艦店を訪れてみた。

 ニューヨーク店なのだから当然、素晴らしい品揃えなのだろう。そう期待していたのに、そもそも店舗を見つけるのに苦労した。街外れの冴えないビルに入居していたからである。中もまるで倉庫のよう。しかも、いかにも片手間という感じのスタッフが1人いるだけだった。

 おそらくその店舗は、「ニューヨーク」を冠するブランドにとってアリバイのようなものだったのだろう。今では多少事情が変わったのかも知れないが、それ以来そのブランドの服は買っていない。そして誰かがそのブランドを着ているのを見るとニヤニヤしてしまう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年7月25日号掲載

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