ノストラダムスと日本沈没 2冊でパニックにおとしいれた編集者
7月が来ると思い出す人も多いのではないだろうか。
今年もあの恐怖の大魔王は空から降ってこなかったなと。
〈1999年7月、空から恐怖の大王が降ってきて世界は破滅する〉
そう、ご存じあの「ノストラダムスの大予言」の一節である。
1973年秋に出版された『ノストラダムスの大予言』(五島勉、祥伝社刊)が紹介したのは、16世紀のフランスの医師・占星術師ノストラダムスが残した「予言集」。
抽象的な言葉が並ぶ詩集のような「予言集」は、公害問題や第2次世界大戦まで言い当てている! というのが著者である五島氏の解説である。
そして、この本の中でも肝になったのが、「恐怖の大王」の予言。これが日本人に与えたインパクトははかりしれない。多くの人が「自分は、あと26年しか生きられない」と感じたものだった。だが、1999年7月に大王は空から訪れなかった。あれから20年、いまだ世界は破滅していない。
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平成生まれの人たちの中には、そんな予言を信じるなんて、と思われる方もいるかもしれない。
しかし、3年前の70年には大阪万博が開かれ、人類の未来は科学の進歩に支えられて薔薇色のものであると、当時の日本人は思いこんでいた。それが73年になると、オイルショックが起き、物価が高騰。50年代から続いていた高度経済成長も終わりをつげ、むしろ行き過ぎた成長の弊害として、光化学スモッグや河川汚染が問題になっていく。先行きが見えなくなった日本人の心情に、この人類絶滅の予言はぴたりと当てはまった。
そして、もう1冊、73年に刊行され、大ヒットした書籍があった。『日本沈没』(小松左京、光文社刊)である。小説とはいえ、専門的な知識に裏付けられた描写、大地震から日本沈没、日本人が流民化するシミュレーションもまた日本人の不安感をあおった。
「時代の空気」を象徴したこの2冊に読者が殺到した。
『ノストラダムスの大予言』は累計210万部、その後シリーズ化され、シリーズ10冊で620万部を売り上げる。一方の『日本沈没』は累計380万部を超えるという大ベストセラーになっていく。
書籍だけではない。この人気に目をつけた東宝がパニック映画として「日本沈没」(73年12月公開)、「ノストラダムスの大予言」(74年8月公開)を製作して大ヒットを飛ばしている。まさに社会現象となっていた。
日本人の終末観に大きな影響を与えたと言われるこの2冊。出版社も筆者も別々だが、実は同じ編集者のものであることをどれだけの日本人が知っているだろうか。
その人物とは、元祥伝社社長・伊賀弘三良氏である。
版元が違う2冊の本をなぜ同じ人物が手掛けているのか。ノンフィクション作家の本橋信宏氏は、新著『ベストセラー伝説』で、その経緯を明かしている。以下、同著からまとめてみよう(以下、引用は同書より)。
伊賀氏は1953年、東大から光文社に入社。59年にカッパ・ノベルス創刊編集長に就任。『ゼロの焦点』をはじめとする松本清張の社会派推理小説群は売れに売れた。ちなみに、この「社会派推理小説」という言葉を考えだしたのも伊賀氏であった。
当時、光文社はノベルスだけで全社員の月給がまかなえたほどだったという。光文社が発行していた女性週刊誌「女性自身」も週刊誌最大部数147万部を売り上げ、光文社編集者1人当たりが稼ぎ出す売り上げは出版業界一だといわれた。
しかし、好事魔多し。1970年に光文社労働争議が起きる。当時の神吉晴夫社長の極端な能力主義とワンマンぶりに組合が反旗を翻した。結果、社長を含む役員は一斉に退陣、その中に伊賀氏も含まれていた。伊賀氏は辞めた役員数人と会社を起こす。これが祥伝社だった。
祥伝社でノン・ブック担当となった伊賀氏は、光文社時代の知り合いのライター陣に声をかける。その中に、フリーライターの五島勉氏がいた。伊賀氏と光文社時代の同期で、共に祥伝社を立ち上げた櫻井秀勲氏(現きずな出版社長)が言う。
「五島さんは体が弱いところがあったんです。それほど目立ったライターではなかったけど、いいところに目をつける。普通のリライトをしている人とは違っていました。五島さんのほうから、こういうのがあると企画案を出したのが『10人の予言者』でした」
しかし、10人では総花的になる。1人に絞ったほうがいいと提案した。
五島氏はノストラダムスに絞ることにした。実家はロシア正教で、子供の頃から黙示録や予言には興味があった。また、旧制高校時代にフランス語を勉強しており、語学の先生からノストラダムスの名前は聞いていた。社会人になってからは、神田の古書店でノストラダムスの名前を見つけると関連書を購入しては、仕事の傍ら調べるようになっていたのだ。
伊賀氏はタイトルにもこだわった。当初は「大予言」というタイトルに決まりかけていたが、それでは印象が薄い。伊賀はあえて聞き慣れない「ノストラダムス」という人の名前をタイトルに付け加えたのだった。タイトルからおどろおどろしさが醸し出さるようになった。
伊賀の編集の極意は「しつこくやれ、著者だけでなく社内的にも」だった。当初は毎月出る新書の中の1冊にすぎなかったが、これが書店で品切れになるほど売れた。
その伊賀氏が9年もかけて小松左京に書かせた小説が、実は『日本沈没』だったのである。だが、出版直前に光文社から退社。『日本沈没』は光文社への置き土産となった。
「あの男は世界でも稀な部数を出したんですよ。1年間で出した総部数が1千万部。彼にかなう編集者はいません」(櫻井氏)
伊賀氏なかりせば、1973年の社会現象も起きなかったかもしれない。
本橋氏はこの3人には共通点があるという。五島氏は昭和4年生まれ、小松左京氏は昭和6年生まれ、編集者の伊賀氏は昭和3年生まれである。10代の思春期の時に戦争に巻き込まれた世代だ。国家や体制にどこか不信感を持っている。
「1973年の2冊の大ベストセラーも、いまの泰平を信じるな、という昭和1桁世代からのニヒルな警醒の書ではなかったか」