北欧、日本、埼玉 民主主義の「ちょうどいい大きさ」(古市憲寿)

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 デンマークに行ってきた。北欧を訪れるたびに驚くのは、国家としての「小ささ」である。面積ではなく人口の話だ。たとえばノルウェーが約530万人、フィンランドで約550万人、デンマークは約580万人、スウェーデンでも約1025万人といった具合である。

 日本と比べると、ノルウェーはちょうど北海道の人口と同じくらい。つまり埼玉県や千葉県よりも少ない。それなのに、世界的な知名度では北欧の国々が圧勝している。たとえばフィンランドのムーミンやマリメッコのファンは世界中にいるだろうが、埼玉の十万石まんじゅうは「うまい、うますぎる」くせに日本国内でさえ大して知られていない。

 名産品以上にびっくりなのは、北欧の小国では独自の憲法や法律がきちんと制定され、国会や裁判所があり、国営放送もあること。フィンランド以外の北欧言語はそっくりだが、国ごとに微妙な差があり、きちんと「ノルウェー語」や「スウェーデン語」として存在している。

 日本のような1億人以上の国に住んでいると、思わず「効率が悪すぎる!」と叫んでしまう。歴史的に決して仲の良かった国々ではないが、法律も言語も含めて国家として統一してしまったほうが効率的ではないか。

 しかし北欧はそれを選ばなかった。というかフィンランドのロシアからの独立や、ノルウェーのスウェーデンとの連合解消から約1世紀しか経っていない。

 結果的に北欧の選んだ道は正しかったのだろう。人口が少ないにもかかわらず、経済的にはもちろん、教育や平等という観点からも非常に豊かな国になった。

 もしかしたら民主主義には「ちょうどいい大きさ」があるのかも知れない。数百万人の国だから、全国民が自国の政治を「自分事」として考えられる。高額の税負担や徴兵制にも耐えられる。国としての小ささは不利な要素ばかりではない。

 考えてみれば、日本以上のサイズで民主主義国家として成功している国はあるのだろうか。アメリカは連邦制だから「3億の国」とは言えないし、インドは国民を到底把握できていないし、中国は民主主義とはほど遠い管理国家だ。

 つまり日本の民主主義が失敗するのは必然なのかも知れない。1億以上の国民が、真剣に日本のことを「自分事」と考えるのは不可能だと思う。年金騒動にしても、みんなどこか他人事だ。

 たとえば「国が悪い」と怒っている人がいる。もちろん誰もが政治や官僚の不作為を追及する権利を持っている。しかし「国」と言ったときに、きちんと「自分」も含まれているのだろうか。投票権のない子どもは別として、年長者になればなるほど「国」に対しての責任も生じるはずだ。誰が政治家を選んだのか。誰が世論を盛り上げてきたのか。誰が何もしてこなかったのか。それは「あなた」に他ならないのではないか。

 まずは実験的に埼玉県あたりを独立させてもいいのかも知れない。そうすれば世界で十万石まんじゅうが有名になる日が来るのかも。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年7月18日号掲載

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