教養なきリーダーが国を滅ぼす 『国家の品格』藤原正彦の真っ当すぎるリーダー論

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 カルロス・ゴーン氏にかけられた嫌疑が本当なのか、それとも本人が主張するようにえん罪なのか、弁護士や元検察官など法律専門家の間でも見方は真っ二つに割れている。しかし、一つ言えるのは、トップとしてのゴーン氏の存在感は、この20年ほどの日本の財界においても突出したものだったということだ。

 おそらく多くの人は、今回の事件まで日産の現在の社長の名前を知らなかっただろう。別に不思議ではあるまい。7日、経済3団体(日本経済団体連合会〈経団連〉、日本商工会議所〈日商〉、経済同友会)の恒例の新年祝賀パーティーが開かれたが、それぞれの団体のトップの名を挙げられる人は、滅多にいない。財界のリーダーたちが、仰ぎ見られるような存在だった時代は終わったかのようだ。

 もちろん、ことは財界に限らない。政界や官界も同様だ。

 かつて数学者の藤原正彦氏は、ベストセラー『国家の品格』の中で、日本においてこうした状況を招いた要因の一つとして日本における「エリート教育の不在」を指摘していた。しかし、もはやエリートやリーダーの権威の失墜は日本だけの現象ではない。世界に目を転じたところで、各国のリーダーの中で尊敬を集めるような存在がどれだけいるか、はなはだ怪しい。

 では、リーダーたちの権威はなぜ失われていったのか。逆に言えば、リーダーに求められるものは何か。

 藤原氏は、新著『国家と教養』の中で、「それは教養だ」と断じている。教養なくして先を読むことはできない。先を読むことができない者は上に立つべきではない、ということだ。
具体的な政治家あるいは身近な上司の顔が浮かぶ方もいるだろうが、もう少し詳しく藤原氏が語る、リーダーの資質をご紹介してみよう(以下、引用は『国家と教養』より)。

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「ここ20年ほどの日本は改革につぐ改革でした。ところが、改革しても改革しても、世の中がよくなったようには感じられません。国のリーダーたる政官財の人々がきちんとした価値基準を持ち合わせていないからです。政治家は次の選挙で勝つこと、官僚は自らの省庁の権益を拡大すること、財界人は大企業の利益向上、という情けない価値基準を第一としているように見えます」

「きちんした価値基準を持たない国のリーダーは、個々の現象に目を奪われ、それらを貫く本質が見えませんから、大局観や長期的視野を持つことはとうてい不可能です。したがってすべての改革は小手先の対症療法とならざるを得ません。これなら世論の支持も得られそうだから、盟友アメリカにこう言われたから、中国や韓国にこう言われたから、波風を立てないためにこうしよう、となるのです。世論をうかがいつつ他国を右顧左眄(うこさべん)しながら、日本をリードするより他なくなります」

「国のリーダーは、外国の顔色をうかがうようでは論外ですが、国民の目線に立ってもいけません。国民には国をリードする能力がないからです。国民の心の底にある不安や不満を洞察したうえで、大局観により国家国民の10年後、30年後、50年後を見すえつつ、生命を捧げるつもりで国をリードしなければならないのです」

「堂々たる価値基準をもつこと。すなわち教養を蓄積することが国のリーダーには決定的に重要です」

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 いかがだろうか? きちんとした価値基準をもつことは当然として、外国はもちろん「国民の目線にも立つな」と言われると、それを実践できているリーダーはどれくらい思い浮かぶだろうか。

 もちろん、リーダーだけに厳しい目を向けても仕方が無い。藤原氏は、国民全体が教養を育まなければ国は衰退する、とも語っている。

デイリー新潮編集部

2019年1月18日掲載

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