私は人殺しですか――オウムでサリン製造「土谷正実」未亡人が明かした最期の肉声

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“私は人殺しですか”

 そんな土谷だが、事件に対してはどんな思いを抱いていたのか。

「私との間で話をすることはありませんでしたが……」

 と夫人が続ける。

「本人の答えは再審請求をしないことだったんだと思います。請求は他の人もしていることですし、多分通らないでしょうが、チャンスはゼロではない。私としては一日でも長く生きていてほしかったから何度も勧めました。しかし“しない”と言う夫に迷いはなかった。その意味では、自分が犯した罪の大きさを、実感しないまでも、重く認識してはいたんでしょう。“死刑になることは怖くない”“死んで償うしかない”“生きることに意味はない”と常々言っていましたから」

 土谷は、拘置所では懲罰の常連だったという。

「気難しい人でしたから、職員に手をかけられたくらいでも“触るな”とはねのけたり、スリッパで頭を引っ叩いたりして保護房に入れられていた。このままここで生き続けるよりは……という思いはあったようです。最後の5年ほどは私しか交流者はいませんでしたから、私に手紙を書くか、化学の本を読むくらいしか辛い拘置所生活に耐える方法はなかった。生きていても死んでいても変わらない、と。一度、“私は人殺しですか。私を人殺しだと思いますか”と聞かれたことがあるんです。言葉に詰まりましたが、“結果的に見れば人殺しに違いないけど、私はそうは思えない”と答えた。そうしたら安心したように“もうそれだけでいいです”と言っていました」

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