元横綱「輪島大士さん」が大麻所持! 元妻が初めて明かした仰天エピソード

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“黄金の左”というニックネームを持ち、史上7位となる14度の幕内優勝を果たした元横綱・輪島大士(本名・輪島博)が、咽頭がんで亡くなったのは昨年10月。武蔵川元相撲協会理事長は告別式で、記者に“番外の人だった”とコメントした。

「“番外の人”というのは、角界では、社会常識に著しく欠けた、埒外の人です。良く言えば、常識にとらわれない。悪く言えば、滅茶苦茶、となります」

 と解説するのは、この7月に『真・輪島伝 番外の人』(廣済堂)を出版したノンフィクションライターの武田頼政氏である。

「今回の本は、輪島の最初の妻だった花籠親方(元幕内・大ノ海、本名・中島久光)の長女・五月さんが語るという形式で執筆しました。元妻の証言ですから説得力がありました」

 武田氏と五月さんとは、旧知の間柄だったが、

「私は2007年に朝青龍の八百長疑惑を週刊誌で告発。日本相撲協会から名誉棄損で訴えられたのですが、その時、協力していただいたのが彼女でした。裁判では上申書も書いていただきました。今回、本を出すきっかけは、五月さんの気持ちに共鳴したからです。昨年、輪島が亡くなったとき、各メディアが輪島の女性関係や借金問題、年寄名跡を借金のかたにしたことなどに、ほとんど触れなかった。そのことに彼女は違和感を覚えた。それで、輪島の本当の姿を記録しようと思ったのです」

『真・輪島伝』の第一章は、「輪島の恋わずらい」。そこにはこんなエピソードが紹介されている。

〈その事件が起こったのは1972年、私が19歳のころのころ。前年の1月に入幕した輪島は、すでに関脇に昇進し、さらに大関を窺おうとしていた時期です。(中略)室内の父は怒りの形相でした。(中略)その正面に座る輪島は俯(うつむ)き、すっかり萎(しお)れています。その傍らには輪島の父親が縮こまって端座しています。(中略)すると父がこう叫びました。「おい、ハサミ持ってこい! いまからこいつの髷(まげ)を切ってやる!」(中略)原因は単純なことです。輪島が銀座のあるホステスにのぼせ上がってしまったのです。(中略)その方は島津樹子(みきこ)さん。〉

 島津樹子は日活の元女優。芸能界を離れ、赤坂の高級クラブ「ニュー・ラテンクォーター」のホステスになっていた。輪島は、本場所中は、自分の取組が終わると店に直行し、日付が変わっても寝ずに島津の身が空くのを待っていたという。

「島津とは、輪島が日本大学の3年生のとき、店に連れて行かれて知り合っています。それ以来、ずっと関係が続いていたのです。純粋に彼女を好きだったようですね」

 輪島が五月さんと結婚式を挙げたのは、81年1月。東京プリンスホテルの「鳳凰の間」で3000人を招いたという。当時通産大臣だった安倍晋太郎夫妻が媒酌人となり、福田赳夫元総理、勝新太郎、森重久彌、萬屋錦之介・淡路恵子夫妻など、錚々たるメンツが集まった。

「ご祝儀で披露宴などの費用を払っても、2000万円残ったのですが、五月さんによれば、輪島はその金を八百長の清算に使ったそうです。輪島は1場所に何番か白星を買っていたようなのです」

 輪島は結婚して2カ月後の3月場所中に引退。花籠部屋を継承した。が、親方となっても、“女好き”は相変わらずだった。

 五月さんの兄は、JAL国内線のパーサーだったが、九州場所のとき、たまたま福岡行の便に乗務した兄が、同僚の女性客室乗務員を4、5人連れて花籠部屋の宿舎に行ったことがあった。

「輪島は喜んで、部屋自慢のソップ炊きのちゃんこ鍋を振る舞ったのですが、その日の夜、輪島は五月さんの兄に電話をして、“左から○番目に座っていた女の子を紹介してくれない?”と。嫁の兄に女を紹介してなんて、普通あり得ませんよね。何を考えているんだと、おかしみさえ感じますね」

 女性問題ならまだマシ。『真・輪島伝』の中には、驚くべき記述がある。

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