キャリア官僚が覚醒剤に溺れざるをえなかった理由 元警察官僚、古野まほろ氏が分析

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 経産省と文科省、中央官庁のキャリア官僚が立て続けに覚せい剤取締法違反容疑で逮捕された。職場で常習的に覚醒剤を使用していた疑いが強く、世間に衝撃を与えた。元警察官僚で霞が関でも勤務した作家・古野まほろ氏にキャリア官僚の職場環境について話を聞いた。

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職場の机から注射器を押収

――今回の経産省と文科省の事案だが、元キャリア官僚としてどのように考えるか。

「まず、両事案の時系列としては、4月27日、経産省の28歳のキャリア官僚が、覚醒剤が入っていた国際郵便を受け取ったとして……泳がせ捜査だったが……麻薬特例法違反で検挙されたのが最初となる。その後、職場である経産省にガサが入り、この経産キャリアの机などから複数の注射器が押収された。これだけでもなかなか衝撃的ではある。

 ところが5月28日になって、今度は文科省の44歳のキャリア官僚が、自宅マンションで覚醒剤と大麻を所持していたとして……タレコミがあったそうだが……覚せい剤取締法違反等で検挙された。この事件でも、職場である文科省にガサが入り、この文科キャリアの机から、覚醒剤とみられる粉末や、使用済みのものも含む注射器数本が押収された。

 要は、ほぼ1カ月の間に、中央省庁のキャリア官僚が連続して、シャブを食った被疑者として検挙されたわけだ。検挙された両名の、堂々と庁舎内で薬物を使用するというスタイルも酷似している。こうなると、報道に接した市民を唖然とさせるには十分だろう。

 ただ、20年弱官僚をやってきた立場からすると……薬物の使用など論外であり許されないものだとは思うが……『そうでもしなければやっていられない』という劣悪・過酷な勤務環境等も想像でき、個人の責任と合わせ、職場の構造的な問題をも想起せざるを得ない」

――両名とも有罪と考えてよいか。

「それは今後の公判による。だが、経産キャリアは取調べにおいて『(覚醒剤は)自分で使うためだった』『仕事のストレスで向精神薬を服用していたが、より強い効果を求め、覚醒剤を使うようになった』旨を供述しているほか、職場である経産省に対し、『覚醒剤の密輸と使用を認める書面』を既に提出している(よって、5月31日付けで懲戒免職)。ならば、外野の我々としても、限りなく有罪の心証を持たざるを得ないだろう。

 また、文科キャリアの方も『覚醒剤は使うために持っていた』旨の供述をしているほか、6月18日の時点では覚醒剤の所持・使用につき容疑を認めているという。現時点では、こちらも、罪を犯したとの強い疑いを持たざるを得ない。

 といって、むろん、いずれも現時点における報道等を前提とした判断だし、最終的な判断は裁判所がすることである」

――中央省庁の中で覚醒剤を使用するといったことが、物理的に可能なのか。

「何ら難しくはない。私は警察官僚だったので、経産省なり文科省なりで勤務したことはないが、役所の一般論として考えるに何ら難しくはない。

 例えば、起訴された経産キャリアは『職場のトイレや会議室で覚醒剤を使用した』旨を供述しているが、『トイレ』は個室ならば密室だし、個室の外で行き交う面々は互いに全く無関心である。加えて、トイレの手洗い場で歯磨き等をする者も多いから、ちょっとしたポーチ等を持っていても全く違和感がない。そもそも照明が十分でない場合も多い。

 また『会議室』は……全庁(全省)共用のものだと数が少なくて確保が難しいが……課なり室なりの大部屋の中に、自分の課の会議室を備えている所属はあるし、それを閉め切ることも難しくはない(物理的に扉が閉められるし、『検討中』『来客中』等の掲示もできる)。はたまた、例えば深夜の2時だの3時だのとなれば……霞が関なら平常運転時間だが……さすがに会議はやらないし使用者などいないだろう。あるいは、そうした課内会議室を備えていなくとも、パーテーションで仕切られたそれなりの検討ブースは設けられているのが普通だ。あと、偉い人が退庁してしまった後の偉い人の個室も、実は死角になる。私自身、かなり若い頃、泊まり込みが続いたときは課長室のソファを無断で幾度もお借りして寝泊まりしたことがある。

 要は、中央省庁の執務環境には『死角』がままあるし、希薄な人間関係がそれを『強化』することもある。なおこれに加えて、劣悪な勤務環境もまた死角を多くする」

「平常運転で」月200時間以上の超過勤務

――中央省庁の、希薄な人間関係とは。

「『隣は何をする人ぞ』という希薄さだ。具体的には、ある人がそこに座っているのは見えるし、何やらパソコンを叩いているのも見えるが、実際に何をやっているのかは全然分からないし、分かる必要も動機もない。法改正その他でプロジェクトチームができればそこでは雰囲気は変わってくる可能性があるが……いわゆるタコ部屋……そうでない通常のオフィスにおける通常の執務を念頭に置くと、『針を落としても気付く』『電話は何故かヒソヒソ声』『部屋の反対側の端の決裁の様子が聞こえてくる』といった程度に会話がなくなることがある。パソコンのキーを打つ音で、生きているのが分かるというか……

 役所は、特に中央省庁は、係員ひとりひとりに至るまで事務の切り分けがハッキリしているから、誰もが『自分の』書類等を処理するので手一杯である。誰も自分とは同じ仕事をしておらず、だから誰も助けてはくれない。役所の事務の切り分けとはそういうものだ。

 だから、具体的には、同じ課の同じ係で勤務するA係員とB係員とC係員は、それぞれ全く別の重い仕事を抱えているのが常だし、よって、互いに助け合うどころか、相互にコミュニケーションをとる時間を捻出するのも容易でない。そもそも専門なり担当なりが違うから、善意で助け合おうにも限界がある。

 そしてこのことは、係員・係長を束ねる、課長補佐についてもいえる。D課長補佐とE課長補佐は、同じ課で勤務していても全く『所掌事務』が違い、だから究極のところはどちらも別々のことを『個人請負』している感じになる。ゆえに、自分の仕事だと切り分けられた事務には無限の責任を負うが、そうでない他人の事務に配慮する余裕などはない。

 こうした、構造的に生まれる希薄な人間関係が、極論『隣は薬物を使う人』であっても知ったことではない、それより自分の山積みタスクを処理しなければ……という『死角』を生む」

――中央省庁の、劣悪な勤務環境とは。

「例えば、東日本大震災を契機とした節電等、照明の暗さを思い出す。日光の入りにくいインテリジェントビルだと、既に朝の9時から満遍なくどんよりと暗い。廊下で前から歩いてくる人の顔が朝から見分けにくいとか、オフィスの大部屋内も常に梅雨どきを思わせる陰気さだとか……ともかく登庁するだけで鬱々となる感じだ。また、古い庁舎なら窓を簡単に開閉できたが、インテリジェントビルだと嵌め殺しの窓も多く、思い立ったときの換気に難がある。日光と酸素が十分でない密室的な環境は、およそ健康によくはない。

 また、執務室が『次第に荒れてくる』という問題もある。というのも、霞が関勤務では退庁が午前2時午前3時……なのはアタリマエだし、それならいっそ泊まってしまえとなるのも道理だから、ガラスとコンクリのインテリジェントビルは、24時間365日営業のネットカフェみたいなものになる。

 仕事は無定量にあるから、書類の山は目線以上に乱雑に積み上がっていく。足元・足回りには、分厚いファイルがごろごろ転がることになる。無限に書類を作成するから、シュレッダーは常に紙吹雪と一緒にあふれている。はたまた、食事も机ですませるからゴミと匂いが出るし、オフィスそのものが寝泊まりの場所だから、先の換気の問題もあり、どうしても『饐えた空気』の重さが滞留する。実際、個室をカップ麺の容器タワー等でゴミルームにしてしまった偉い人の姿も見てきた。

 私が課長補佐だったときの経験だと、そうした環境の中で、朝の9時15分にはデスクに座り、退庁は未明の3時過ぎ。郊外のオンボロ官舎にたどりつくのは4時過ぎ。次の出勤は午前7時半だ。むろん、徹夜=泊まり込みになることも多かった。土日も、両方とも休めるのは奇跡に近かったし、おまけに始終海外出張まで組まれたので、『平常運転で』月200時間以上の超過勤務をするのが当然だった。といって、私が格別働き者だったわけではない。私はむしろ怠け者な方だったと思う。

 ここで、職場に泊まったところでシャワーがあったわけでもベッドがあったわけでもない。執務をする机と椅子が寝具だ。また、連日徹夜、あるいは連日2・3時間睡眠となると、体はどうにか動いても脳が言うことを聞かない感じ、あるいは脳だけが過集中で空回りをしている感じになる。自分に課せられたタスクを、どうにか締め切りまでに処理することで手一杯だ(そして仕事のうち少なからぬものが、48時間以内あるいはもっと短いスパンでの処理を必要とする)。すると、気も荒んでくれば、身だしなみにも、同僚その他にも気を遣う余裕がなくなる。そして、それはまさに同僚その他の側も感じていること……

 こうした劣悪な勤務環境が、物理的にも人間関係にも『死角』を生まない方がおかしい」

――そうした霞が関勤務の『ブラックさ』が、薬物使用につながったということか。

「いや、そこは、もちろん『覚醒剤等に手を出さない官僚が超圧倒的多数』なわけで……とうとう覚醒剤までやるとなると、そこには個人的な要因も少なくないと考えるが……

 だがしかし、報道によれば、起訴された経産キャリアは体調を崩して鬱病と診断されていたというし、『覚醒剤を使うと、倦怠感や無気力感がなくなり、すっきりする感覚があった』『鬱病の治療で処方された薬よりも強い効果を求め、今年2月ごろから(覚醒剤の)使用を始めた』などと供述している。

 こうなると、月200時間以上、あるいは月300時間以上の超過勤務をナチュラルに求める霞が関勤務の過酷さが彼を病気に追い込んだと、そしてそれでもなお官僚として生きていかねばならない『焦燥感』……パフォーマンスを維持していかねばならない焦燥感が薬物使用につながったと強く推測されるから、そうした構造的な面も考えなくてはならないだろう。

 私自身は、それこそ栄養ドリンク程度しか使用したことはないが、もし覚醒剤が栄養ドリンク並みに入手しやすければ、フラフラのときに手を出してしまっていたかも知れない。そうした心と体の『追い詰められ方』『焦燥感』ならば、想像できるし理解はできる。それでも一線を越えてはならないと思うはずだが、そもそも徹夜徹夜、3時間睡眠3時間睡眠だと、どこまで正常な判断をキープすることができるか……」

何連泊させようと課長補佐なら給与の内

――薬物使用にまで至る焦燥感とは、具体的にはどのような焦燥感なのか。

「起訴された経産キャリアについていえば、組織人としての将来に対する焦燥感だろう。

 まず、霞が関のキャリア官僚は、概して課長級までは横並びで昇進する。大過なければ、課長級にはトコロテン式でなれる。ただ、課長までの、例えば係長の段階、課長補佐の段階、警察庁でいう理事官(筆頭補佐)の段階、室長級・企画官級の段階等々で、『使えない』『おバカ』『痛い子』というレッテルを貼られれば、課長級にはしてもらっても将来は明るくない(課長級にしてもらえないことも)。

 またそうでなく、能力的には問題ないとしても、『病気をしている』『体力的に霞が関勤務に耐えられない』『ドクターストップがかかった』となれば、今度は、病気をした時点での役職から、もう上へ昇進できない可能性も強い。となると、上で述べたとおりキャリアの昇進は課長級までは横並びなのだから、同期がトコロテン式で筆頭補佐、室長、企画官、課長……と昇進していく中で、自分だけ例えば課長補佐のままということにもなり得る。これは、有能な者、周囲の評価が高かった者、それなりに自負がある者にとっては非常につらいことだ。もちろん病気等をしっかり克服すれば、そして自分が霞が関勤務に耐えられることを再度立証すれば『コースに戻れる』が、特に鬱病患者の場合だと、生来の生真面目さ等から、その立証や復帰を焦る傾向がある。それがまた病を重くする。

 そうした病気に由来する焦燥感と、今後の役人人生に関する焦燥感があったと考える」

――検挙されたのは経産省の「課長補佐」と文科省の「参事官補佐」だが、これは事件を読み解く上で特徴的なのか。あるいは特に意味はないのか。

「若干の意味というか、特徴があると考える。

 ここでまず、参事官補佐というのは要は課長補佐のことだから、両名とも役所におけるランク/ポジションは『同一』だったと言ってよい。そして、キャリア官僚が本省・本庁で課長補佐を務めるのは概して30歳前後~40歳程度なので、『経産省の28歳のキャリア課長補佐』という存在には違和感がないし、『文科省の44歳のキャリア課長補佐』という存在は、年齢とポジションがリンクしていない気もしたが、同者が平成13年組である(年を食ってから入省している)という情報を踏まえれば、こちらも違和感がなくなる。

 すると、課長補佐というポジションと、薬物事犯とに親和性があるかだが……

 昔は……具体的には平成の初め頃は、『役所は課長補佐が動かしている』と言われたものだ。それは、主として権限・裁量といったものの大きさ、実務の責任者という位置付け、そして実際に5人も6人も部下を抱えている重みを反映していた。そうした課長補佐が終電までに帰らないのは、特別な対応があるときに限られていた。また、これは課長補佐には限らないが、例えば退庁が朝だったら昼前に来ればよいとか、昼休みは実質1時間半ほど休めたとか(今では45分ジャストだ)、恒常的に夜が遅い者は午前10時過ぎに登庁しても文句を言われなかったとか、そうした『ハンドルの遊び』『自主的なフレックス』みたいなものが、非公式ではあるが認められていた。

 ところが、平成も半ばになると、日本社会の構造をそのまま反映して、上が詰まっているから昇進がどんどん遅れ、下の採用を絞ったから部下がどんどん少なくなり、定員管理が厳しいから純粋な増員などはあり得ず……等々から、例えば『課長補佐1人に係長1人だけ』というデスク編成も全然めずらしくはなくなった。また、相次ぐ官僚の不祥事を受け、形式的な勤務管理が厳格さを増し、昼休みにゆっくり時間を取って外食することなどできなくなったし、どれだけ超過勤務をしたところで、定時の午前9時半以降に登庁することもできなくなった。あるいは、特別な対応がなくとも、課長補佐が終電で帰ることの方がめずらしくなった。

 要は、課長補佐の価値が下がり、実働員化したと言える。その意味で、今は『役所は(物理的に)課長補佐が動かしている』時代になった。終電で帰るどころか、午前3時4時いや連泊すら当然となった。部下に何かを起案させ決裁するというより、自分で必死にパソコンを叩く立場になった。下がいないから、決裁や根回しや調整で自ら走り回る。上がウジャウジャいるから、権限は絞られ裁量は削られる。

 このように、昭和の頃、あるいはバブルの頃、あるいはバブルの残り香がある頃と比較して、それ以降の課長補佐は、とにかく『駒』として多忙を極めている。それでいて、自分に割り振られた所掌事務については、無限とも言える責任を負わされる。例えばだが、仮に統計にミスがあっても、審議会の段取りにミスがあっても、Google Earthの使い方にミスがあっても、それは実働員の、だから課長補佐以下の責任となる。そうした課長補佐というポジションが、実にストレスフルなものであることに疑いはない。

 だからといって、薬物に手を出すのはまさか許されることではないが、しかし……

『人的コストはゼロ』『人はどれだけ使ってもタダ』『何連泊させようと課長補佐なら給与の内』『仕事が処理できるまで帰れないのは当然』『土日に呼び出しがあるのはアタリマエ』といった、中央省庁の残酷なコスト感覚は、いよいよ改める必要があるだろう。普段から、勤務時間管理をはじめとする真っ当な勤務管理ができていないために、『薬物を使っている者はいないか?』などという恥ずかしい勤務管理まで始めなければならなくなっているのだから」

――とすると、霞が関において、同様の薬物事犯はまだ存在すると考えるか。

「それは、被疑者本人を除けば、神か捜査機関か被疑者に近しい者のみが知ることだから、訳知り顔の断言は避けたい。だが、現在の霞が関文化を……その勤務環境・人間関係・勤務管理等を前提とする限り、第三、第四以降の同種事件が摘発されても、私は何の疑問も感じない」

――それを防ぐためには。

「手段方法を問わず、また聖域を作らず、業務と超過勤務を縮減し、『職場に余裕を生む』しかないのではないか。例えば『誰もが平時は終電前に退庁できるようにする』だけで、職場のストレスを覚醒剤で解消しようとする者などいなくなるはずだ。

 もちろん、その程度のことは誰にも分かっているから、そのためにどれだけ新たなコストを掛けられるかが大事な訳だが……いずれにせよ、『人はどれだけ使ってもタダ』『横並び昇進したければ無限に働け』『評価を下げたくなければ片付くまで帰るな』という不健全なコスト感覚は、昭和・平成の遺物として改めていかなければならない。さもなくば第三、第四、第五、第六……と、薬物事犯その他の不祥事が必ず爆ぜてくるだろう」

古野まほろ
東京大学法学部卒業。リヨン第三大学法学部修士課程修了。学位授与機構より学士(文学)。警察庁I種警察官として警察署、警察本部、海外、警察庁等で勤務し、警察大学校主任教授にて退官。警察官僚として法学書の著書多数。作家として有栖川有栖・綾辻行人両氏に師事、小説の著書多数。

デイリー新潮編集部

2019年6月30日掲載

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