残留兵の小野田さんは「終戦」も「朝日新聞の変節」も知っていた

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「朝日はアカだから」

「朝日新聞は1億出すと言ったそうですが、小野田さんは3500万円しか示さない講談社を選んだのです」

 とは、小野田さんが帰国した年に初めて出版した著書『わがルバン島の30年戦争』の構成を務めた津田信氏の次男・山田幸伯氏だ。

「理由は小野田さんが『朝日はアカだから』と言って、毛嫌いしたためと聞きました。現地では捜索隊が日本の様子を伝えようと新聞を残していきましたが、彼はそこから終戦を知ると同時に、各紙の論調を把握するほど熱心に、事細かく読み込んでいたのだと思います」

 戦時中、率先して戦意高揚に筆を揮った大新聞の変節を、帰国直後の小野田さんは見抜いていたのである。

 また山田氏は、彼のこんな一面を目の当たりにしたと続ける。

「私の父は、手記を書くために伊豆で小野田さんと2カ月間、共同生活を送りました。まだ大学生だった私も何度かお会いしましたが、滞在した家の池には鯉を食べようと鷺がやってくるんです。小野田さんはその様子をどうしても写真に撮りたいと、一日中ずっとカメラを構えていました。非常に意固地で、決めたことはやり通す人だと思いました」

 5年前、91歳で往生を遂げた小野田さん。晩年まで慰安婦問題に抗議する活動を熱心に行っていたという。

週刊新潮 2019年6月20日号掲載

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