ひきこもりの英訳は“Hikikomori”、日本特有の難問を解決するためにすべきこと

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“Hikikomori”

 他方、放送プロデューサーのデーブ・スペクター氏はこう述べるのだ。

「今回の容疑者のような人たちにとって、唯一の目的は人生の最後に注目を浴びることなんです。近年、欧米では犯人に共感したり、崇拝することを避けるため、無差別殺人事件の容疑者の名前は極力報じません。つまり、加害者を風化させることで新たな犯罪を抑止する。日本のメディアはそれと反対に、加害者の背景を深掘りして視聴者の好奇心を煽っています。この論争にしてもテレビはセンセーショナルな話題として取り上げているだけ。その反面、ひきこもりやメンタルヘルスの問題は視聴率を稼げないから手を出さない」

 コンプライアンス意識ばかりが肥大して、耳の痛い言説を袋叩きにする、あるいは批判を恐れるあまり正論にフタをする。そんな物言えぬ社会は決して健全とは言えまい。

「一人で死んでくれ」発言の言葉尻だけを捉えて、単純に二極化した炎上騒動に終始するのではなく、むしろ、いまこそ自由闊達な意見の応酬が求められているのではないか。

 デーブ氏が続ける。

「ひきこもりの英語訳は“Hikikomori”なんです。つまり、ひきこもりは日本特有の概念。その最大の理由は、日本では心の病が疑われても精神科やカウンセリングに足を運ばないから。アメリカでは歌手のブリトニー・スピアーズが“メンタルセラピーに行ってきたよ”とインスタに投稿するほどカジュアルなことなのに、日本では“恥ずかしい”となってしまう。今回の容疑者が治療を必要としたかは分かりませんが、この種の犯罪を喰い止めるために必要なのは専門家によるメンタルケアだと思います」

 これまで家庭内で隠蔽され続けてきた「中高年のひきこもり」という、わが国特有の難問――。

 その深い闇に光を当てるには、炎上騒動に与しない、タブーなき議論こそが必要だろう。

週刊新潮 2019年6月13日号掲載

特集「立川志らく『一人で死んでくれ』炎上で置き去りにされる重大議論」より

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