令和初の真打「瀧川鯉斗」は落語界一のイケメン、元暴走族リーダーという意外な過去

エンタメ 2019年6月9日掲載

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暴走族総長の過去

鯉斗:運動神経は悪くないんですよ。名古屋で育ちましたが、小学校3年からサッカーのクラブチームに入っていましたし、野球でリトルリーグにも入っていました。中学ではサッカーで愛知県代表に選ばれて、名古屋グランパス・ユースのスターティングメンバーたちと試合にも出ていました。ポジションはキーパーでした。

――高校はサッカー推薦?

鯉斗:そう思うでしょ! 県代表は、うちの中学には僕しかいなかったし、他のサッカー部の連中がサッカー推薦を受けていたので、当然、僕も推薦がもらえると思ってました。でも先生からは「お前のような授業態度が悪い奴に推薦出せるわけがないだろう」と言われまして。

――どのような授業態度を?

鯉斗:サッカーをやりつつも……オートバイに憧れちゃいましてね。そういった同好の先輩たちとのお付き合いもできたりして。

――いわゆる暴走族である。

鯉斗:推薦が受けられず、志望校もスベったんですが、いわゆる地元の悪い奴ばっかりが行く高校だけ受かったんですよ。しかたなく入学式に出たんですが、すでに先輩たちから目をつけられていまして、「おめえ、生意気だ!」と大人数に囲まれるケンカ……「クローズZERO」みたいになっちゃいまして。こんな奴を入学させるわけにはいかないと、その日のうちに学校から母親に連絡があって、退学です。制服、体操着、教科書も新品のまま……。「それ、どうすんの?」と母に言われて、悪いことしたなと思って謝りました。

――退学した後は?

鯉斗:そこからはもう、現場やサーフボードのリペア(修理)、工場などで働きつつ、そのお金で好きなバイクを買いましてね、暴走に明け暮れていました。カワサキのゼファー、ホンダのCBスーパーフォア、ヤマハのXJRにカスタムパーツをつけてカッコよくして……尾頭橋(おとうばし)ってところが名古屋にありまして、そこに12時集合が仲間の暗黙の了解なんです。最低でも200台くらい集まりましたからね、楽しかったなあ。

――遠い目をするんじゃない! 「天白スペクター」という暴走族の総長にまで上り詰めたという。総長になるには何が認められたのか。

鯉斗:そうですね、運転テクニックと集会への参加頻度、気合い、フカシ方が上手い……といったところでしょうか。ケンカは自分から吹っかけるようなタイプではありませんでした。名古屋市内のチームは、結構、仲がいいんですよ。三河のチームとは揉めることもありましたが……。

――それがなぜ、落語家に?

鯉斗:いや落語家になるなんて思ってませんでした。ある時、友達の家に溜まっていたら、ふと「このままじゃダメだ」と思ったんです。自分は何が好きなのかと思ったら、映画が好きでよく観ていたんですね。役所広司さんの「うなぎ」とか、エドワード・ノートンとブラッド・ピットの「ファイト・クラブ」に感銘を受けて、役者になろうと。そこで東京に出ようと思いました。

――それだけ?

鯉斗:はい! それで決意して、1週間後ぐらいですかね、仲間に「俺、辞める」と。物わかりのいい奴らですからね、「総長が言うんでしたら、わかりました」と。それで、イッコ下の後輩を次の総長に任命して、その3日後には引退暴走をやってもらいました。いや、本当に迷惑な話で……申し訳ありませんでした。

――運動神経がよく、タッパもあるし、顔もいい。おまけに元ワルとくれば、モテる要素は十分だ。役者への自信はあったのか?

鯉斗:あまり深く考えてなかったですからね。でも、本気で役者を目指していたら、とっくに名古屋に帰っていたと思います。東京には、ただただ漠然と出てきました。所持品は着替えと現金5~6万円くらいです。それで友達の家を転々としながら、アルバイトの求人誌を買って、新宿のレストランに住み込みで働かせてもらいました。そこのオーナーが元バンドマンで、僕が「役者になりたい」と言うと、「わかった。それなら落語くらいは見ておけ」と。そのお店では月一で落語会を開いていたので、見せてもらえることになったんです。それが師匠の高座でした。

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