迷宮入りの「悪魔の詩」訳者殺人、問題にされた2つのポイント【平成の怪事件簿】

国内 社会 2019年4月29日掲載

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容疑者

 事件から7年後、惨劇が風化しはじめた平成10年4月30日号の「週刊文春」に、突如次のような見出しが掲載された。

「『悪魔の詩』五十嵐助教授殺人に『容疑者』浮上」

 同誌が入手した「治安当局が『容疑者』を特定していた極秘報告書」とは、事件当時、外国人の出入国記録を徹底的に洗っていた東京入国管理局が作成した文書だった。記事によれば、その人物は筑波大学に短期留学していたバングラディシュ人学生。五十嵐助教授が遺体で発見された7月12日の昼過ぎに、彼は成田を発って母国に戻っていた。報告書には推定殺害時刻「7月11日深夜から翌12日未明にかけて」という解剖結果も記されていた。だとすれば、彼の行動は、極めて意味深いものになる。
 
 一方、元CIA(米中央情報局)のケネス・ポラック氏の著書『ザ・パージァン・パズル』には、別の見解が登場する。五十嵐助教授を手にかけたのは、イラン軍部のひとつ「イラン革命防衛隊」との記述があるのだ。しかし真相は、依然霧に包まれたままである。ひとけのない夏休み中のキャンパスに有力な目撃情報はなく、当初から苦戦を強いられた捜査は、次第に歳月のなかに埋没していった。そして事件発生からまる15年を経た平成18年7月11日、ついに公訴時効の日を迎えることとなったのである。
 
 その3日後、五十嵐助教授の研究者仲間や教え子ら150人ほどが集い、恒例の「しのぶ会」が東京都内で開かれた。時効の1カ月前、雅子夫人は、年1度の会を続けるひとつの意義をこう語っている。「仮に時効が成立しても、(事件を風化させなければ)その後からだって、犯人特定につながるような話が出てくるかもしれませんし」(同年6月11日付「読売新聞」、括弧内筆者)
 
 さて、英国人著者ラシュディ氏である。死刑宣告から9年後の98年、ホメイニ師亡きあとのイラン政府は事実上、ラシュディ氏に対する死刑宣告を破棄して、イギリスとの関係改善に乗り出した。これに反発した革命防衛隊などが「宣告は撤回せず」との声明を発しているが、ラシュディ氏はいまも健在で、文筆、言論活動を続けている。

駒村吉重

週刊新潮WEB取材班

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