印税収入2億円、74歳「官能小説家」にバブルな生活を止めさせた根本的な原因

ビジネス

  • ブックマーク

Advertisement

悠々自適の暮らしも、人気に翳りが

 海外に仕事場を移して10年が経過した頃、預金が積もり積もって5000万円と膨らんでいた。幸い住んでいる国は、人件費や建設材料が安い。庭に池を造成する洒落た3階建ての邸宅を新築した。2人の住み込みお手伝いさんを雇い、一緒に暮らすパートナーのおねだりで、番犬用に2匹の犬と、数匹の猫も飼った。

 日課は、毎朝9時頃に起床し、散歩がてらに近所のコーヒーショップに行く。帰宅したらわずかの時間、犬や猫たちとじゃれ合ったあと、書斎に閉じ篭って深夜まで机に向かった。好きであれだけ時間を潰していた麻雀やゴルフにしても、遊ぶ相手がいなし、きっぱりと止めた。

 3カ月に1度、ビザの書き換えを目的に出国し、東京に帰った。フライトはビジネスクラスである。最初は安いエコノミークラスだった。だが、1度ビジネスクラスに乗ってから、席が狭いエコノミーにはもう乗れなくなっていたのである。

 帰国すると3、4日は東京に滞在し、担当編集者たちと次回作の打ち合わせ。時間の余裕をみて、都内の繁華街も歩きまわり“取材”を試みた。勢力的に知人や友人に会い、年末には漆原担当の編集者を招待し、派手な忘年会を開いている。

 振り返って二十数年。その間、海外の某国で20年に近い執筆生活を続けたが、ただの1度も国内旅行を楽しんだ経験がない。海や山の行楽も無縁である。言葉の不自由さもあったが、毎日、鬼のような形相をしながら、365日、書斎に閉じ篭って官能小説をひたすら書き続けたのである。

 作品数も、ざっと200点を超えていた。日本の週刊誌に紹介されたこともある。振り込まれた印税総額は、2億円に達していただろうか。

 だが、人気を保ってきた官能小説家も、徐々に黄昏を迎えるようになった。年を経るごとに文庫本の依頼が減り続け、初版発行の契約部数も落ちてきた。8000部、7000部、5000部……。官能小説の人気がなぜ落ちてきたのか。漆原さん自身もよく心得ていた。

 いつでも場所を選ぶこともなく、誰でもパソコンを開けば、周知のアダルト動画や漫画が無料の見放題である。熱烈な官能小説ファンを除けば、わけても若い人たちや中高年層さえも、官能小説に手を出さなくなっていたのである。

 官能小説が一世を風靡した年代は、1960~1970年代である。1980年代に入ると、わずか生き残った著名な官能小説家たちが、細々とファンを牽引していたのである。

 漆原さんがデビューした時期は、官能小説の人気にかげりを見せ始めた頃で、そうした中で、ストーリーやアイデアを試行錯誤して踏ん張り、読者を獲得してきたのである。

 かつては原稿の注文に編集者が列をなし、手帳にびっしりと予定されていた漆原さんのスケジュールを見つめていた。

 でも、ここ3、4年、出版社の編集部からかかってくる電話の本数も途切れがちである。漆原さんのほうから連絡をしても、色好い返事はない。天候や人種などあまり好きになれない海外某国に住み、人を避けてまで執筆する理由がなくなった。

 やっぱり、知人や友人と電話でバカ話をしながら、日本の食事や空気が吸えるところで生活したい。帰国する際、処理に困ったのは新築した邸宅だった。池で飼っていた鯉や、犬や猫はどうしたらいいのか。

次ページ:帰国、さてどこに住んだらいいのか

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。