漫画『コブラ』の巨匠が逃れられない「在宅ケアの性」 「要介護4」でも一夫多妻生活

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 いつまでも元気でいたい、と願わない人は余程のひねくれ者だが、体の自由がままならないのに、ある欲求だけは元気に湧き続けるとしたら、それはそれで本人にも、周囲にとっても厄介だろう。著名な漫画『コブラ』の作者がいま、まさにそんな渦中にいた。

 人間は欲、とりわけ食欲、睡眠欲、性欲の三大欲から、はたして逃れうるのだろうか。現実には、煩悩からの解脱を遂げた高僧がわずかにいたとしても、大方は泉下の客となるそのときまで、欲との戦いを続けなければならぬものらしい。

 たとえば、かつて一世を風靡した漫画『コブラ』の主人公である同名の宇宙海賊は、人並み外れて強いキャラクターで、左腕に「サイコガン」と呼ばれる銃が埋め込まれ、どんなに追いつめられても、最後は逆転勝利する。ところが、その作者で漫画家の寺沢武一氏(64)も、いま障害を抱えながら、湧き出る欲に打ち勝てずにいるという。

 それがどんな欲であるかは、寺沢氏の逸話に、自慰に供する「テンガ」なる商品がたびたび登場することからも、お察しいただけると思う。だが、これ以上は後述することとし、まずは寺沢氏の来歴を簡単に確認しておきたい。

 大学受験に失敗し、浪人中に漫画を描きはじめたという寺沢氏は、1976年に手塚治虫のアシスタントとして起用されると、翌年には「週刊少年ジャンプ増刊号」に一話読みきりで掲載された『コブラ』でデビューする。この漫画は翌78年から84年まで「週刊少年ジャンプ」に断続的に連載され、その後も掲載媒体を替えながら、2006年まで発表され続けた。英仏はじめ各国語に翻訳され、全世界での発行部数は5千万部を超えるという。

 まさに巨匠の名に恥じないが、98年、人間ドックを受診した際に悪性脳腫瘍が見つかった。以後、3回の手術の後遺症で左半身が麻痺し、いまは車椅子生活を余儀なくされている。要介護4で、いわゆるシモの世話も必要な状態だが、漫画を描く右手が動かせるのは不幸中の幸いだろう。

 そんな寺沢氏の近況を語ってくれるのは、昨春からアシスタントを務めたアラフォーの漫画家、葵正美さん(仮名)である。もっとも、彼女の描写には、寺沢氏の訴えと異なる部分もあるものの、ともあれ、まずは葵さんの話から始めたい。出逢いは一昨年9月だったそうだ。

「ツイッター上で見ず知らずの人から叩かれていた私に加勢してくれたのが寺沢先生で、お礼の返信をしたのが最初のコンタクトでした。その後、先生から“コブラ会”と呼ばれるパーティに何度も誘われまして」

 ちなみに、葵さんは『コブラ』を読んだことがなかったそうだが、それでも、

「先生はCGを導入したデジタル漫画の創始者としても有名で、手塚先生の全盛期の弟子でもあります。手塚先生に憧れて漫画家になった私は、すっかり舞い上がってしまいました」

 こうして、葵さんは大阪から上京し、寺沢氏の自宅で毎月開催されている“コブラ会”に出席した。

「会は先生がツイッター等で知り合った中でも気に入った女性を中心に、10~20人誘って開催され、夜7~10時ごろまで、どんちゃん騒ぎをするんです。席順は先生が決め、両隣には新しく入った女性が座り、みな家に入ると先生の席に行ってハグして頬にキスする習わし。このときはハロウィンなので、女性はみなセクシーなコスプレを求められ、私はリクエスト通りに、女優アン・ハサウェイが演じたキャットウーマンのコスプレで参加しました」

 終了後、帰阪した葵さんだったが、しばらくすると1日に3、4回、寺沢氏からLINEに電話がかかるようになったという。

「電話には1日1回だけ出ましたが、1回3時間とかにおよぶんです。内容は作画指導とか手塚先生の思い出とか。“『ブラック・ジャック』に出てくる内臓は全部僕が書いたんだよ”とか聞かされて、天才に漫画のご指導いただいていると、夢見る気持ちでした」

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