漫画『コブラ』の巨匠が逃れられない「在宅ケアの性」 「要介護4」でも一夫多妻生活

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「ここを拭いて」

 昨年2月、葵さんはコブラ会に参加するため、再び上京。寺沢氏から「マッサージ師が窓を開けて帰ってしまった」と、助けを求める連絡が入ったのは、その2、3日後だった。

「駆けつけると、先生は窓が開いた寒い部屋で凍えて、失禁していました。実は私、1年ほど特養老人ホームでアルバイトをした経験があるので、陰部を洗浄し、便がついたズボンを洗い、車椅子に移しました。先生は感激して、“うちのアシスタントになってください”と懇願してきたのです」

 そして帰阪後も、

「毎日、LINEのテレビ電話で“正式にアシスタントになってください。月30万円払いますから”と、頼まれました。東京に滞在中、先生は描きかけの新作『コブラ』の原稿を見せてくれましたが、全7話で4話までは完成原稿があって、5、6話もアシスタントがついてもう少し頑張れば、発表できる段階でした。1カ月くらい考えた末、荷物を持って上京しました」

 こうして、葵さんは寺沢氏と同居することになった。しかし、そもそも寺沢氏には妻子がいたはずだが、

「奥様は別居され、先生は1人暮らしでした。日中はヘルパーさんやお手伝いさんが世話をしに来てくれても、夜は1人なのです」

 ともあれ、昨年4月に始まったアシスタント生活は、嵐の船出だったという。なんでも、寺沢氏の版権管理会社社長や、寺沢氏の妻から、「寺沢先生は漫画を描かない」「大阪に帰ってくれ」と言われるばかりだったというのだ。では、寺沢氏の実情はどうだったのか。

「私は奥様に信頼してもらうため、便失禁と失禁回数、食事回数、便通回数、漫画のネームを書いた時間などを記録した介護日誌を、毎日メールしました。でも先生の漫画制作は一向に進まず、週に1コマ分のネームを書ければいいほう。障害があるから仕方ないものの、それ以上に愛人のイッちゃん(仮名)が邪魔していました。1日に何十通もメールを送ってくるうえ、4月には週2回、7月には週4回も会いに来るようになって、その日は先生はデートと性行為に没頭し、仕事になりませんでした」

 葵さんとイッちゃんの初対面は4月半ばで、

「キッチンでご飯を食べていると、先生に“彼女が来るから部屋に入るな”と言われ、別室で待機していました。麦茶を取りに戻ると、車椅子を押す女性と先生が一緒に帰ってきて、先生から“愛人です”と紹介されたんです。以来、イッちゃんが来るときは、私は先生に“着替える”“ちんちん拭いて”などと必ず命じられ、しばらく別室に待機し、事後処理もさせられるようになりました。“ここを拭いて”と陰毛の周りに残った白いものを指すので、温かいタオルとたらいを用意しておくのです」

 だが、巨匠の“欲”は、イッちゃん1人では抑えられないのだという。

「イッちゃんが来ない日は、テンガという器具を使って自慰行為に励みます。私が呼び出され、テンガを開封して渡すんです。動画を見ながらのようで、ユーチューブの履歴に“パイパン”とか“ケツ”とか残っていました。部屋に転がっているテンガを片づけようとすると、“裏側も使えるので置いとけ”と言われます。行為が終わるとまた呼ばれ、“きれいにして舐めろ”と言われたことも」

 むろん、寺沢氏には“普通の”介護も必要で、

「愛人が来る日、デイサービスでお風呂に入る日以外は、ほぼ毎日私が体を拭き、排泄の面倒を見て、お尻を拭いたりしていました」

 というが、その際も例の“欲”は収まらず、

「介護のために体を密着させると先生は右手を私のズボンに突っ込み、性器に指を入れようとします。だから毎日ナプキンなどをつけ、“生理不順なので”と言ってガードしていました。それに陰部洗浄後、先生は毎回のように勃起し、“舐めて”と言ってきます。拒んでいましたが、勝手に暴発することもありました」

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