「火をつけてこい」発言の泉房穂・前明石市長 “出直し選挙”出馬で当選の可能性は?

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取材・文/粟野仁雄(ジャーナリスト)

 市職員への暴言で兵庫県明石市長を辞任し、それ以降、「潜んで」いた泉房穂氏(55)が、告示3日前の3月7日、自らの辞職に伴う明石市長選に立候補を発表した。同日夜に市民会館で開かれた支援者集会では大拍手で迎えられ、「決して許されない、明石の名前が不名誉な形で全国に報道され、払拭できないほど罪深いことをした」などと半泣きで頭を下げ、帰路につく人たち一人一人と笑顔で握手していた。

女性らの署名が後押し

 その後、長時間の記者会見を開いた。「悩んだ末の」出馬については「3月3日に、5000人の署名を集めてくださった支援者に出馬要請をされた。壇上で立ち上がって受け取ることはできないほど泣いてしまいました」と、これが大きな後押しだったと明かし、「最終的には出馬に反対していた家族と協議した結果」とした。短期間に5000人の署名はすごい。

 2月1日の辞任会見後、姿を隠していたが、「明石を離れ一人で部屋にこもり、コンビニに行くのも変装した。(怒りの感情を制御する)アンガーマネジメントの本を読んだりしていた」と振り返った。

 投開票は3月17日。泉氏が当選すると、公職選挙法上の任期は残留期間のみとなるため、4月の統一地方選で、再度、市長選が行われる。明石市選挙管理委員会によると、3月の出直し選挙だけでも8000万円ほどかかるという。辞職せず統一地方選を待てば税金の無駄遣いにならないことを記者に問われると、泉氏は「市役所に抗議電話が殺到し、影響を出さないためには辞職しかないと思った」と答えた。

 とはいえ、泉氏の人気は高い。署名を集めていた子連れの女性は、「ふさほ」と書いた団扇を手に、「税金が余計にかかるけど、それでも泉さんに今の優しい政治を続けてほしい」と話していた。

 泉氏は市長時代、所得制限なしで中学生までの医療費の無料化や、第2子以降の保育料の無料化、元夫からの養育費が滞っている離婚女性に対する市による立て替えや、犯罪者から被害者へ払われていない賠償金も市が立て替えるなど、斬新な政策を次々と断行。他の自治体からも議員などが勉強に訪れるほどだった。そのため、地方都市の凋落にあっても、明石市は人口が増えている。

 立候補を発表した2日前の5日に出馬を求めた「全国犯罪被害者の会」(昨年6月に解散)の林良平・元代表幹事代行は「泉氏は国会議員時代、他の会派にも働きかけて犯罪被害者のために力を尽くしてくれた。そんな政治を継続してもらわなくては。(出馬の)約束を守ってくれた」と喜んだ。

変わった風向き

 2017年6月14日、泉氏は用地買収に関わる担当職員を市長室に呼び、ヤクザ顔負けの暴言を吐いた。JR明石駅と山陽明石駅南側の再開発事業の関連で放置されていた変則交差点の改良のため、市は道路を拡幅する方針を打ち出していた。しかし、所有者が買収に応じないビルが残っていた。交渉が進捗していないことを知るや、「7年間、何しとってん、ふざけんな、なんもしてないやないか、7年間。(事業が始まった)平成22年から何してんねん、7年間。お金の提示もせんと。(中略)アホちゃうか、ほんまに」と叱責。職員が「すみません」と謝ると、さらに激高する。「立ち退きさせてこい、お前らで。今日、火つけてこい。今日、火つけて捕まってこい」「行って壊してこい建物。損害賠償は個人で負え。当たり前じゃ」などと一方的にまくし立てた。

 今年1月29日、この音声がメディアに大々的に公表され騒動となった泉市長は、2月1日、市議会に辞表を提出して辞任した。「いかなる理由があっても、今回の自分の行為が許される行為になるわけではなく、結論は変わらない」「怒りをコントロールできず、苦手分野を放置して部下を叱責するリーダーは、リーダーとしてふさわしくない」「苦手な道路行政を放置した責任は自分にあり、現場の職員が悪いのではなく市長がちゃんとやってこなかった」などと反省の弁を述べた。福祉政策などは高く評価されており、女性の放送記者から「『辞職の必要はない』という市民の声もある」と向けられると涙を浮かべた。

 だが、すぐに風向きが変わる。当初、断片的だった音声報道に世論は批判の嵐となったが、その後、「市民の安全のためやろ(交差点では以前、死亡事故が起きていた)」「私が行って頭下げて土下座でもしますわ」など暴言後の泉市長の音声が紹介されると、批判は半減し、逆に「職員が怠慢すぎる」などの批判が増え、市長擁護の声や出馬要請が強まる。職員批判に慌てた泉氏は「職員が職務を怠っていたという報道もあるが、職員は今もしっかりと仕事をしており、私の責任である」と盛んに訴えた。

 再出馬を要請する署名者らの集会では、ボロボロ泣く姿が報じられた。「人間味がある」「短腹(たんぱら)やけど純粋な人や」など同情論が強まる。

 滑稽に見える泉氏だが、人もうらやむエリート経歴。明石市の漁師の家に生まれた泉氏は、県立明石西高校から東大教育学部へ進学し、NHKに入局してディレクターも務めた。NHKを退職後は、石井紘基(故人)・衆議院議員の秘書を経て、司法試験に合格。人権派弁護士として活動するうち、03年に旧民主党に請われて衆院選に兵庫県第2区から出馬。選挙区では敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活当選した。衆議院議員を一期務めたが、自民党が巻き返した05年は落選。11年に明石市長に立候補し当選し、二期を務めていた。

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