『もっと言ってはいけない』著者が予見する「働き方改革」の残酷な未来

国内 社会 週刊新潮 2019年2月7日号掲載

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先進国のふりをした身分制社会

 日本の会社では非正規から正社員に「上がる」ことはきわめて難しく、正社員から非正規に「落ちる」ことはない。誰もがこのことを知っているから、「新卒で就活に失敗したら人生終了」となる。

「当然じゃないか。それのどこが悪いんだ?」というかもしれないが、登場人物を変えて同じ場面を想像してほしい。

 ある会社に白人と黒人の従業員がいて、黒人の従業員が、同じ仕事にもかかわらず報酬が明らかに低いことを会社に抗議したら、「お前が白人じゃないからだ」といわれた……。

 これは明らかな人種差別で、近代社会では許されない。もしこのことに同意するなら、日本の会社で当たり前のように行なわれている正社員と非正規社員の待遇格差も同じで、その実態は「身分差別」以外の何ものでもない。

 日本の会社では、親会社から子会社への出向がしばしば行なわれる。これ自体は人材の最適配置として正当化できるかもしれないが、その際、親会社からの出向社員と、子会社のプロパー社員が同じ仕事をしているにもかかわらず、給与などの待遇に明らかな格差があるのが当然とされている。プロパー社員がこのことに抗議しても、「親会社の人間はお前とはちがう」といわれるだけだ。

 海外に進出した日本企業は社員を「現地採用」する。日本から派遣された「本社採用」の社員とは待遇が大きく異なるが、それを現地採用の外国人社員から指摘されると「お前が日本人じゃないからだ」とこたえるのだろう(それ以外に説明のしようがない)。それに対してグローバル企業には「本社採用」「現地採用」などという区別はなく、海外で採用された社員でも優秀なら本社の社長になれる。

 正規/非正規、親会社/子会社、本社採用/現地採用など、日本の会社ではあらゆるところで「身分」が顔を出す。

 日本では保守派もリベラルもほとんどの知識人が「年功序列・終身雇用の日本的雇用慣行が日本人を幸福にしてきた」として、“グローバリスト”や“ネオリベ”の「雇用破壊」に罵詈雑言を浴びせてきた。そうまでして彼らが守ろうとしてきたものは、国際社会ではとうてい受け入れられない「身分差別」だ。

 日本社会は、先進国のふりをした「前近代的な身分制社会」なのだ。

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