「派遣のくせに」「立場をわきまえろ!」非正規で働く中年男性に投げかけられる無慈悲な言葉

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「派遣のくせに」

 はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり、とは石川啄木の歌だが、まさにそんな立場の人は、現代の日本でも数多くいる。厚労省が5月30日に発表した4月の有効求人倍率は1.48倍で、1990年7月に記録したバブル期最高数値を突破。しかし、よく言われるように、そうした数値ほどに好況を実感している人は多くない。

 たしかに新卒の学生の就職率は、数年前と比べたら圧倒的に良くなったとされている。一方で、「生まれた時代」や「再就職の時期」が悪かった人は、いまでも理不尽な目に遭っているというのが実態かもしれない。

 自身、中年になってからの再就職で苦労をして、さまざまな非正規雇用の現場を経験してきた中沢彰吾氏は、どんなに成果を上げても認められない非正規雇用労働者の悲惨な実情をレポートしている(以下、中沢彰吾著『東大卒貧困ワーカー』より抜粋、引用)。

 神奈川県に住む山田信吾さん(54歳・仮名)のケースは、理不尽の極みといってもいいだろう。

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 山田さんは、35歳まで中小企業の管理職を務めていたが、会社が倒産。再就職には微妙な年齢で、すぐに仕事ができる人材企業に登録し、翌日から派遣先の企業で働くことにした。

 奇しくもその年、1999年は労働者派遣法が大幅に規制緩和された年だった。

 プロの画家を目指していたこともある山田さんは、色合いを見極める目と感性があり、そして細かい作業が得意だった。その特技を生かし、ほどなくして、神奈川県にあるプラスチック部品製造工場で、パイプなどの色を決める染料の調合や、火災の危険がある電炉の管理を任されるようになった。管理職が出勤しない休日に率先して出勤し、工場長代行のような業務もこなした。社員全員が不在のお盆休みには、中国人研修生7人のめんどうを1週間ひとりで見た。

 当然、勤務表は残業や休日出勤で真っ赤になったが、諸手当は満額支払われ、山田さんの年収は500万を超えた。現場の上司からもねぎらいの言葉をもらった。ただ、3年間働いても正社員化の話は出なかった。山田さんも収入には満足していたので、あえて正社員化は望まなかった。

 しかし、そのことを後悔する日は突然やってきたという。社長が経営効率をアップさせるため、外部のコンサルタントを招き入れ、組織改革の全権を委譲したのだ。そしてそのコンサルタントから、山田さんは思わぬ攻撃を受けることになる。

「派遣のくせに残業が多すぎる」「重要な仕事は正社員がするものだ。派遣のあんたがやってること自体おかしい」「派遣に専用デスクなどいらない」

 残業も休日出勤も禁止され、平日は仕事が終わってから自分のスケジュール管理についての反省文を書かされ、改善策を提示するまで退社できなくなった。
 
 毎晩、終電の時間まで無意味な作文を書かされることに耐えられず、山田さんは自らその会社を去った。

 山田さんは次に派遣として働いた企業でも、実績を上げた。彼の目と技術によって、検品の精度が上り、返品が大幅に減ったのだ。

 ところが、新人の正社員に軽く注意をしたことを根に持たれ、人事部に呼び出され「立場をわきまえろ」と叱責されたことがきっかけとなり、会社にいづらくなり、結局任期切れで雇い止めとなった。

 山田さんを派遣していた人材企業は彼が不当な雇い止めにあった際、法律的には自ら矢面に立って彼を守らなければいけなかった。だが2度とも動かなかった。

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 中沢氏は、「山田さんが、もし正社員であったなら、前記2社のいずれでも解雇されることなく、業績向上に貢献し、部長くらいに出世したのではないか」と述べた上で、非正規というだけで、優秀で実績を上げても、評価が得られないシステムの問題点を指摘している。

 もっとも、この山田さんのケースには、オチがついている。最初の会社は、業務縮小で一時的に利益率が高くなったものの、結局は売上高がジリ貧に陥って、資産の切り売りでしのいでいるという。

 任期切れで雇い止めとなった2番目の会社は、山田さんを解雇して間もなく倒産した。その一因は、検品のクオリティが下がり、返品が増加したことにあるという。

 正社員だろうが非正規だろうが、人材を大切にしない企業は長続きしないということか。

デイリー新潮編集部

2017年6月20日掲載

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