誰がどう決めるのか? “平成”担当者が明かす「元号」誕生の舞台裏

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 伊勢神宮に参拝した安倍首相が新元号の発表時期に言及したのは、さる4日だった。

「党内外の保守派は一貫して『新元号は新天皇の即位後に公布すべきだ』と主張してきましたが、最終的には総理が、国民生活への影響を考慮して押し切った格好です」(政治部記者)

 もっとも、万事平らかとはいかないようで、皇室制度に詳しい所功・京都産業大学名誉教授は、

「新元号が閣議決定された後、政令に今上天皇の署名を求めるのは不可解です。40年前(昭和54年)に定められた元号法に『元号は、皇位の継承があった場合に限り改める』とありますから、5月1日に新天皇が新元号の政令に署名なさるのは当然のことです」

 そう指摘しつつ、

「4月1日に新元号を“内定案”として予告発表し、5月1日に新天皇の署名を頂き正式に公布すればよいのです」

 とはいえ、ようやく新元号の土台が固まったわけである。

 同じ1979年に定められた「元号選定手続について」によれば、元号は「漢字2字」「書きやすい」「読みやすい」「俗用されていない」などの6条件が求められている。歴史を遡れば菅原道真の末裔である「菅原家」が制定作業に長らく携わってきた時代もあったというが、では現代において元号は、いかなるプロセスを辿って決定するのだろうか。

 さきの所氏は、

「元号法ができて以来、政府は『明日にでも新元号を発表できるように』と常に準備しています。その原案は漢文学、国文学、歴史学者など複数の碩学に依頼しており、作業は内密に進められています。ただ、元号は縁起物とも考えられて、物故者の案は候補から外されます」

 平成は、東洋史が専門の山本達郎・東大名誉教授が提案して採用されたのだが、

「過去に陽明学者の安岡正篤(まさひろ)氏が候補として出されたとみられますが、昭和58年(83年)に亡くなったので外され、新たに別の出典にもとづき山本案が提出されたのです」

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