朝日新聞、CIAも見誤った「田中角栄」という政治家 “vs.エスタブリッシュメント”の確執

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「イナカモンに天下とられたのが悔しくて…」

 ここには生前の多くの写真や遺品、遺墨が展示されているが、その一角の壁際にずらりと感謝決議状が並んでいた。額に入れられてかなり古く、一部は黄色く変色してしまっている。田中が地元にもたらした鉄道や道路の建設、これらへの住民の感謝の証で、その一つに国鉄(現JR東日本)只見線があった。

 只見線は福島県会津若松市と新潟県魚沼市の間を結ぶ路線で、有数の豪雪地帯の中を走るので知られる。全線開通は地元の長年の悲願で、その目途がついた1962年5月、沿線の町長ら約15名が連名で感謝決議を行っていた。

「田中角栄先生が打出された卓越せる新しい国造りの構想が伝統の国鉄新線建設方式を大きく転換せしめた功績によるもの」という。

 この他、新潟県内の国道昇格や架橋への感謝決議も市町村長の署名が並び、いずれも田中が自民党の幹事長や政務調査会長だった頃で、その政治力と剛腕ぶりがはっきりと伝わった。

 後に田中は民間航空機トライスターの売り込みでロッキード社の賄賂を受け取った容疑で逮捕され、刑事被告人となったが、その直後の1976年12月に行われた総選挙で、何と約17万票という大量得票でトップ当選を果たす。これには田中の金権ぶりを批判してきた朝日新聞も驚きを隠せず、「日本で最低の政治意識暴露」などと識者のコメントを紹介した。

 角榮記念館のガラスの陳列ケースに、この時の選挙の模様を紹介した本が置かれているが、古ぼけたページに支持者の男性の肉声が残っていた。

「ロッキードから5億円もらったとかどうとか、わしゃわからん。越後の米つきバッタとかいって馬鹿にしてたイナカモンに天下とられたのが悔しくて、インテリと共産党がよってたかって引きずりおろそうってんでないがね。そうはさせんよ。角のアニが帰ってきたんだすけ、助けてやらねば」

 この選挙では山間の辺鄙(へんぴ)な村ほど田中支持が強く、真冬にも拘わらず、立ち会い演説に「角さんが来なっしゃる」と1時間も山道を歩いてきた86歳の老人もいた。

 まだ囲炉裏のある茅葺(かやぶき)の家々は年に数カ月は雪に閉じ込められ、男たちは都会に出稼ぎに出ざるをえない。そうした過疎で死にかけた村に救いの手を差し伸べたのが田中で、村人は恩義を決して忘れず、それに報いたのだった。

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