84歳まで医者知らず「内海桂子」の心得 私はこうして「乳がん」から生還した

ドクター新潮 医療 がん

  • ブックマーク

Advertisement

 84歳になるまでは、病気らしい病気をしたことがなかったの。まともに健康保険証を使ったこともなかったぐらい。風邪を引いても医者にはかかりませんし。病院があまり好きじゃなかった。そんな私が、胸の異変に気づいたのは、2007年の6月頃だったかしら。

 この年は、春先から「冗談じゃない!」というドラマに出演させて貰っていて、撮影が終わった時に主演の織田裕二ちゃんが花束を持って駆け付けてきてくれたのね。私も嬉しくなって思わず抱きついちゃった。そしたら、そのまま裕ちゃんが抱っこしてくれてさ。ぐるーっと回ってくれたんだけど、そしたら右胸のあたりが痛くて痛くて……。まさか、その時は乳がんだなんて思わないでしょ。周りも“肉離れじゃなくて乳離れかね”なんて笑っていたくらい。

 その後、11月になって映画「能登の花ヨメ」にも出たんだけど、おんぶをして貰うシーンがあったのね。その時も痛くて、右胸に変なぐりぐりが出来ていることに気づいた。それで聖路加国際病院へ行き、マンモグラフィーからエコー、MRIまで使って全部調べて貰って、“はい、がんですね”ってな調子で宣告されたわけ。

 私は長男を膵臓がんで亡くしているから、遺伝的には何か関係があるのかもしれないけど、乳がんになるとは思いもしなかった。若いうちから子どもを産んでお乳をあげていたし、親戚でも乳がん患者はいなかったから。進行のステージはIIで、しこりは2センチくらいのものが2つ。摘出後に見たら、黒茶色というかコーヒーのような色をしていました。結局、リンパ節への転移もなかったので、手術は1時間ほどで終わって、退院後も放射線治療を1カ月くらい。もう10年経つけど4カ月に1回の頻度で、検査のために病院に通ってます。今のところ再発はまったくありません。

 歳をとると、病気というだけで参ってしまう人が多いでしょ。でも、私は病気なんかに負けちゃいけない、そう思ってるの。だから病院へ行く時も、大声で“お邪魔します”と言って入っていき、帰る時も挨拶は欠かさない。ずいぶんと元気のいい患者だなぁ、と顰蹙を買ってるかもしれません。

 私は芸人だから、芸事以外の心配はしないようにしているんです。病名を聞いてもピンとこないし、飲んでいる薬もどんな効果があるのかさっぱり分からない。そんな状態であれこれ自分の健康を憂えても仕方がないでしょう。だったら、病気のことは信頼するお医者さんに任せておけばいい。そう割り切って毎日を元気に過ごしています。

 がんは先生がキレイにとってくれたから心配してません。むしろ最近は転んで折った腰の方がよく痛む。そっちの方が心配と言ったら、がんに怒られちゃうかもしれないけどねぇ。

週刊新潮 2018年9月13日号掲載

特集「『さくらももこさん』の命を奪った 『乳がん』に打ち克つ知恵」より

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。