がん放置療法「近藤誠」医師の7つの嘘――大場大(東京オンコロジークリニック院長)

ライフ 週刊新潮 2015年9月3号掲載

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 2人に1人はがんになる時代。理非曲直を明らかにすべく、外科医と腫瘍内科医(抗がん剤治療専門医)を兼ねる大場大(まさる)氏(42)は7月、「がん放置療法」の近藤誠医師(66)への批判を展開した。近藤氏は反論を試みたが、逆に浮かび上がったのは、「7つの嘘」だったのである。

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週刊新潮」の三文記事と某医師については、“10倍返し”で反論予定。お楽しみに!!――。近藤氏ご当人が監修する漫画の扉には、こんな惹句がちりばめられています。某医師とは他ならぬ私のことで、「近藤理論批判記事」への“反撃”のようなものなのでしょう。もちろん、私は娯楽ではなく、何が正しいのかという基準を提案すべく議論をしています。しかし彼にとっては、読者の期待を煽るネタでしかないのです。

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 そう喝破するのは、「東京オンコロジークリニック」院長の大場大医師である。7月、「『がんは放置しろ』という近藤誠理論は確実に間違っている!」という大場氏の論考が本誌に掲載された。それを受けて近藤氏は、冒頭のように淡呵を切ったのである。ちなみに、漫画のタイトルは『医者を見たら死神と思え』――。その一方で、8月頭には「週刊文春」に、大場・近藤対談記事が掲載された。議論は2時間半にも及んだというが、誌面だけでは全貌が見えてこない。ここで改めて大場氏に、その対論で見えてきたもの、そして読者に何を伝えたかったのかを語ってもらおう。

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1 「僕が間違っている証拠を出せ」という物言い

 近藤氏の仰天の論法は、「証拠を示す義務は大場(医学界)側にある」というものです。私は、別に医師として特殊な理論を展開しているのではなく、医療現場の標準的な見解を述べているに過ぎません。

 彼が「医師」として「医学界」の常識に挑戦するのならば、「具体的なデータ」をもとにした医学論文を示す必要があります。漫画では話になりません。ところが、彼は「僕が間違っているという証拠を示せ」と相手に求めてくるのです。

 たとえば、ある医師が「おまじないでがんは治る」と主張したとします。これに「そんなことはないのでは」と異論を唱えた別の医師に対して、「僕の言うことがウソだというなら、証拠を出せ」と迫ったとしたらどうでしょうか。近藤氏が用いている論法はこれと同じで、医療人として大切なものが欠けているのです。

 では、具体的な話をしましょう。

 彼は対談の場で、「早期胃がんが発見された場合、放置をするより手術をした方が寿命が延びることを示したエビデンスはありますか」と尋ねてきました。それに対して私が「エビデンスはない」旨を述べると、彼は「それでは手術すべきではない」と力を込めて説くのです。エビデンスは日本語にすれば「証拠」。「手術をするメリットがあるという証拠が存在しないのならば、近藤氏の言う通りではないか」と思う読者もいることでしょう。しかし、ここに彼のトリックがあります。

 医学で言うところのエビデンスとは、「ランダム化比較試験」(第III相試験)という臨床研究の結果を指します。日常会話における「証拠」よりも厳しい基準がそこにはある。そして、これに基づいて「放置vs手術」を比較した臨床試験はこれまでに存在しません。というのも、それは倫理的に不可能だからです。「放置が有効かどうか調べたいから手術しません」などという患者の意思を無視した「比較実験」がこれまでも、そしてこれからも許されるわけがない。

 しかし、エビデンスはなくても、手術にメリットがあるとする「根拠」はいくつも存在しています。

 その代表例として、日本の優れた胃がん手術レベルを示すデータがあり、それを対談で紹介しました。1993年当時、国立がんセンター中央病院での早期胃がん患者1400例以上の手術成績について、他病死を除いた生存率は、5年生存率98・1%、10年生存率95・6%と報告されています。すなわち、早期胃がんが発見されて手術を受けると95%以上は治癒するというものです。実際の臨床現場でもこれらのデータはしっかりと再現されています。

 そもそもエビデンス重視という概念は比較的新しいもので、一般化したのはこの20年ほどのこと。しかし、当然ながらそれ以前の医学も、何らかの「根拠」をもとに行なわれ、進歩を遂げてきたのです。

「手術にメリットがない」と主張したいのならば、それを証明する義務は近藤氏の方にあります。エビデンスまで行かずとも、放置でどれほどの治癒が見込めるのか、先ほどあげた数字と同レベルの利益があることがわかるデータ、根拠を示すべきなのです。

■“著名人”は常套手段

 近藤氏の言う「本物のがん」とは、初発巣、つまりがんが最初に発見されたとき、その大きさが1ミリの時点であってもすでに転移が潜在しており、早期発見は不可能なものを指す。本来、時を経ることによって初発巣のがんは進行するにもかかわらず。

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2 患者にとっての「時間経過」を軽視する

「時間と共に早期がんは深くなり転移するようになる」と主張するなら、それが事実であることを証明すべきだと、彼はつめよります。

 繰り返しになりますが、治りたいと願う早期がん患者を放置するというような「人体実験」など、できるはずがありません。

 そこで、ひとつの裏付けとなる論文データを紹介しました。56人の早期胃がん患者が何らかの理由で放置されたケースにおいて、36人(64%)が進行がんへと変化し、早期がんのまま維持できた平均期間は3・7年だったというものです。

 この論文は、がんを放置するとどうなるかの流れ(自然史)をよく示しています。言い換えれば、早期がんの状態を一定期間キープできたとしても、高い確率で遅かれ早かれ進行がんへと移っていくということです。また、早期胃がん手術の成績は、前項でも示した通り95%以上は治癒するわけですが、進行した状態で見つかった胃がんへの手術のみの治療成績は5年生存率で61%ほどに落ちてしまいます。

 彼の言うように、深さや大きさに関係なく、すでに転移しているというのならば、深さが「浅い早期胃がん」であれ、「深い進行胃がん」であれ、手術成績は同じになるはずです。ちなみに1ミリほどの早期胃がんの手術成績は10年生存率で98・6%です。潜在している転移は、一体どこに行ってしまったのでしょうか。

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 同様に、「すでに早期のうちから転移が潜んでいて、仮に早期発見されていたとしても、死ぬ運命にあった」例として、近藤氏が対談で名前をあげたのが、俳優の今井雅之さんである。今年5月、大腸がんで亡くなった今井氏のケースを持ち出して、早期発見には「意味なし」と強調するのだ。

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3 著名人の例を持ち出す

 これは近藤氏の常套手段で、過去に逸見政孝氏や中村勘三郎氏にも同様に言及してきました。注目度が高く、影響力の強い人物の例に自身の理論をあてはめることで、賛同を得ようとしているのかもしれません。

 しかし、これら著名人の不幸なケースから学ぶべきは、転移がすでに潜んでいたはずだから早期発見はムダだとする近藤理論の正しさではなく、早期発見の大切さです。

 拙著『がんとの賢い闘い方「近藤誠理論」徹底批判』(新潮新書)にも記しましたが、逸見氏の胃がんは、年に1回の胃がん検診を受けている最中に発見されました。最初の手術を受けた時には、すでに腹膜転移をきたした「びまん浸潤型(スキルス)進行胃がん」という最悪の形で診断されている。

 それを受けて近藤氏は、〈異常なし〉とされた前年の検診段階で、1ミリほどの非常に小さな胃がんが潜伏していたと言い切ります。そのうえで、すでに腹膜転移が先行した「本物のがん」だったと説くのです。逸見氏は検診を定期的に受けていても死を避けることができなかった、だから胃がん検診は無意味だというのが、彼の主張です。

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 しかし、逸見氏の患ったスキルス胃がんは、早期の時点では見逃されることがあり得る。早期発見できるかどうかは、内視鏡検査を実施する医師の観察眼や診断レベルに依拠するところが大きいと言える。

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 そもそも、内視鏡で観察できるのは胃の粘膜面の上っ面のみであるため、そこに変化がなければ〈異常なし〉とされてしまいます。確かにスキルス胃がんは、その上っ面からがん細胞が検出されないことがよくある。がんの発育の中心が、内視鏡では分かりづらい粘膜の下(粘膜下層)レベルであることが多く、早期診断が遅れ得る、とても厄介な特徴を持っているのです。しかし、だからと言って「早期発見が不可能」ということではありません。「100%見つけられないのなら無意味だ」というのは早計。ましてや運命で片づけるなど言語道断です。

 今井氏の大腸がんが、どのような状況で最初に発見されたのか。情報がありませんので明確なことは言えませんが、遡れば、転移のない早期の段階が必ずあったはずです。不運にしてその時期には発見されず、治療する機会を逸したのだと思われます。

 前向きにがんと闘い、治療に取り組んだご当人や家族は、死後、診断もしていない第三者から治療はムダであったと言われては無念ではないでしょうか。

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