生稲晃子が語る「5回の手術」と「乳房再建」 私はこうして「乳がん」から生還した

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 最初に乳がんの告知を受けたのは、今から8年前、42歳の時です。見つかったがんは、乳輪の少し奥に8ミリとごく小さく、ステージもI。少し安心しました。乳房を全部摘出(全摘)してしまう手術ではなく、私の場合は「乳房温存術」といって、乳輪に沿って胸を数センチ切開して、腫瘍を取り除いて頂きました。2時間ほどで済む手術で、翌々日に退院できたのです。

 ところが、病理検査で切除したがん細胞を調べると、転移しやすい「浸潤性がん」だと分かった。手術でハイ終わりとならず、放射線やホルモン治療などで、体内に残った可能性のあるがんの転移を抑える必要がありました。私の長い長い闘病生活が始まったのです。

 手術から1年後、娘が小学生になった2012年の検査で、右胸にニキビのようなものが見つかり再発を告げられました。無事に切除できたので、手術の翌日にはテレビの収録に出ていました。健康番組の通販コーナーでレギュラーを務めていたので、当時は病気のことを伏せていました。手術の影響で腕が上がらなくても、“四十肩になった”と話し、隠していることに申し訳ない気持ちでした。だけど、仕事に出れば気が紛れて、自分には居場所があるんだと気力が湧きました。そんな日々を送るうち、翌年の検査で再々発が判明してしまいます。

 先生からは、今回の手術で全摘した方がいい、次に再発したら危険ですと言われ、本当に死ぬかもしれないと、この時が精神的に一番つらかったですね。乳がんで放射線治療をしたのに、再発するのは非常に稀と聞いていたので、なぜ私が選ばれたのか。自分を責める日々でしたが、先生が“娘さんが成人するまでは死ぬわけにはいかないでしょう。命を優先する治療をします”と言ってくれて、3度目の手術でまず腫瘍を切除、4度目の手術で右胸の全摘と同時に乳房再建を行うことになりました。

 背中や腹の皮膚と脂肪を使う方法もありましたが、傷が増えるリスクもあるので、私は自分の皮膚を拡張した上で、シリコン製の人工乳房を使う再建法を選びました。けれど、放射線治療で固くなった皮膚はなかなか伸びてくれず、通常は半年でシリコンを入れられるところ、最終的には2年経ってようやく5度目の手術で再建が終わりました。

 そこまでして再建した理由は、自分の体にふくらみが戻ると気持ちが和らぐと聞いたからです。胸に何もなかったらショックを受け続けていたでしょう。人工物なので違和感は残るし、破損したり10年ごとにシリコンを交換する必要があるという話もあり、その場合は再び手術をしなくてはいけない。いろいろな懸念はあっても、今はふくらみが戻ってよかったと心から思っています。

週刊新潮 2018年9月13日掲載

特集「『さくらももこさん』の命を奪った 『乳がん』に打ち克つ知恵」より

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