「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の“制服アレルギー”

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“制服を見たくありません”

 20年ほど前の制服絡みのエピソードを振り返るのは、ある警察庁の関係者である。

「両陛下が“制服を見たくありません”と内々におっしゃいましてね。地方に行幸される際に、交通整理などをする制服警官の存在が国民との距離を遠ざけている可能性があるのではないかというお考えでした。それからはできるだけ、警備から制服は外して私服を増やしたり、お車が近づけば私服がつけている腕章を取ったりして対応していました。もちろん制服の方が何かと抑止力になるのですが。またあるときは、信号を全部青にしてしまうのはよろしくないのではないかともおっしゃいました。それでその通り、信号を操作しない警備を実施したのですが、赤信号で停車された際に、近づいてくる人がいたんですね。不審者が混じっている可能性もあり、警備としては相当困難だということをご理解頂き、信号の件は元通りになったという経緯があります」

 制服アレルギーと同時に「国民との距離」にも十分に配慮されていた、それゆえにというわけだ。

 再び今回の日記に戻って、麗澤大の八木秀次教授はこんな見方をする。

「昭和天皇は辞める選択肢がなかったため、天皇であり続けました。将来の天皇がもし退位したいと思われたとき、その前例があれば、同じようにしてくださいと、おっしゃる可能性も出てきます。安定的な皇位の継承のためにどうしていくべきなのか。改めて課題が浮き彫りになりました」

 この点、先の宮内庁関係者は、

「昭和天皇は戦後に何度も退位を仄めかされていましたし、老境に入られても公務が満足にできないくらいなら長くその地位に留まっている意味がないと、今回の日記で吐露されている。それは今上陛下が生前退位を選択された理由にも繋がっているのでしょう。戦争責任への苦悩とともに、そのテーマもまた、ご父子の間で引き継がれているのだと強く思いました」

 譲位前の平成最後の夏。その終わりに明るみに出た日記は、それ自身が陽の目を見るタイミングを図っていたということにもなる。

週刊新潮 2018年9月6日号掲載

特集「『小林侍従日記』で明るみに出た新事実 『昭和天皇』戦争責任の苦悩が生んだ『今上陛下』の『制服アレルギー』」より

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