「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の“制服アレルギー”

国内 社会 週刊新潮 2018年9月6日号掲載

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「昭和天皇」戦争責任の苦悩が生んだ「今上陛下」の「制服アレルギー」(2/2)

「戦争責任のことをいわれる」「長生きするとろくなことはない」……8月23日に新聞各紙が報じた元侍従・小林忍氏が記した日記には、昭和天皇の人間らしさが垣間見えるものだった。こうした戦争責任を巡る苦悩や譲位、平和への思いは、密にコミュニケーションを取られていた今上天皇に引き継がれていた、と宮内庁関係者は指摘する。

「今回の日記は、昭和天皇が我が子に伝えていた思いが、改めて資料として出てきたと位置づけられるかもしれません」

 今上天皇が続けてこられたパラオやペリリュー島への「慰霊の旅」、そして「制服アレルギー」に、繋がっていった。

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 近年まで天皇陛下から遠ざけられてきた組織がある。自衛隊だ。さる防衛省関係者は事実だとし、こんな例を挙げる。

「08年5月の海上保安制度創設60周年を祝う記念式典には、天皇皇后両陛下がご臨席され、これまでに殉職した保安官と遺族に弔意を表されました。しかし一方で、2千人近い殉職者を数える自衛隊の公式行事に両陛下のご光臨を賜ったことはありません。昭和天皇に関して言えば、ご搭乗の自衛隊ヘリは自衛隊飛行場ではなく、隣接する警察施設に着陸していました」

 今上陛下に仕えた川島裕前侍従長は、「日中戦争勃発時、葉山御用邸に滞在していた昭和天皇が海軍の軍服に着替え、帰京したのを覚えていると陛下から聞かされた」(東京新聞17年12月2日)と述懐している。「自衛隊との距離」は今上陛下の、いわば制服アレルギーの証左なのか。

「いや、天皇陛下ご自身の意向ではなく、宮内庁や警察庁の官僚、自民党の左派政治家たちによる忖度の結果だと思うのです。自衛隊をできるだけ権力に近づけさせまいとする力が長らく『慣行』として働いてきたのでしょう。これは自衛隊への警戒感の表れであるとともに、ハレーションが起こることを避けようという意図もあるはずです」(先の防衛省関係者)

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