「絶対に罪を着せなければならなかった」――中国からも冤罪証言 毛沢東暗殺謀議で処刑された「日本人スパイ」娘の告白

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見つからない遺骨

――また、2004年2月19日付の中国紙「南方週末」によれば、周恩来も1971年、米国の外交官らにこう語っていたという。

「在中国の米軍特務組織が関わったという天安門砲撃事件は、全くの間違いだった」

 もし、泉下の山口氏がこれを聞いたら、何を思っただろうか。

「父の遺骨はありません。日中国交正常化のあと、弟が父の遺骨を探しに北京に行ったことがあります。知人の中国人の墓の隣に葬られたということは分かっていましたが、時間が経っており、その中国人の墓も区画整理やビルの建設などで元の場所が分からず、父の遺骨は探しようがなかったとのことでした。弟としては、遺骨は無理としても、墓の近くの小さな石でも持ってきて、日本の先祖の墓に一緒に埋葬したかったようですが、それもできませんでした。もう私たちも高齢となりました。父は母に送った手紙で『日本に帰りたい』と無念さを訴えていた。せめて骨だけでも祀ってやりたい。これが私の最後の願いです」(撫子さん)

――習近平の権力強化が象徴するように、いま再び、前近代へと“逆戻り”の道を歩もうとしているかに見える中国。事の真相が明らかになる日は遠いであろう。

 改めて、日中の「戦後」の闇の深さを思い知るのである。

相馬勝(そうま・まさる)
ジャーナリスト。1956年生まれ。東京外国語大学中国語科卒。産経新聞社に入社後は主に外信部で中国報道に携わり、香港支局長も務めた。2010年に退社し、フリーのジャーナリストに。『中国共産党に消された人々』で第8回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞している。

週刊新潮 2018年7月19日号掲載

特別読物「歴史発掘! 『毛沢東暗殺謀議』で処刑された『日本人スパイ』娘の告白――相馬勝(ジャーナリスト)」より

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