かくれキリシタンは、どうやって信仰を伝えてきたのか

社会2018年7月9日掲載

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 記録を残す意味は、あったことを後世にきちんと伝えることにある。誰かにとって都合の悪いことを隠したり嘘をついたりでは、もはや記録ではない。記録は歴史をありのままに伝える大切なツールなのだ。

 だが、不都合な真実も包み隠さず記録に残せる、というのは、ある意味、幸せなことなのかもしれない。

 過去には、どんなに記録を残したくても残せない人たちがいた。

 世界文化遺産登録で注目される「潜伏キリシタン」である。

 潜伏キリシタンたちは、キリスト教が禁じられていた時代、あるところでは集落ごとに組織をつくり、ひそかに独自の信仰を伝えてきた。

 お上に見つかれば迫害に遭い、命をも奪われる。そのため宗教上の活動について、不用意に文字にして残すことは、当然はばかられたのだろう。

 たとえば、彼らの祈りの言葉である「オラショ」は、口伝えのみで継承されてきたし、口にすることすら用心が必要だった。かくれキリシタンの取材を続け、『かくれキリシタン 長崎・五島・平戸・天草をめぐる旅』を著したカメラマン、後藤真樹さんは言う。

「禁教下ですから、声に出してオラショを唱えることのできないところが多かった。夜、人里離れた山の中、岩の下に潜り込んで、指導者が口伝えで教えていたという地域もあります」

 しかし、最初は宣教師から伝わったきれいなラテン語のオラショも、口伝えで意味もわからないまま唱え続けて、親から子へと代々継承していくうちに、ますます意味をなさない言葉になってしまうことは想像に難くない。

「あるところのオラショは、いつのまにか、野菜の名前を並べたものになってしまったそうです。どうして祈りなのに野菜? と聞いても、いや、自分たちはこう伝えられてきたから、と」

 潜伏キリシタンたちがそれを文字に記録するようになったのは、明治になって禁教が解かれ、信教の自由が認められてからである。

「母親が祈りの言葉を書き記したノートを受け継いだ方は、『母たちがなんと言っているのかぜんぜんわからなかったのですが、ノートを見て、ああ、こういうことをこう言っていたのかと知りました』とおっしゃってました」

 生まれてから死ぬまで、つまりは洗礼から葬式まで、二十数通りの祈りの言葉があるというのだから、それを口移しだけで覚え、次代につないでいくのは、気が遠くなるほどの難行だ。

 だが、奇跡のような話もある。

 布教当時から、篤い信仰をゆるぎなく貫いてきた生月島では、他の地域と異なり、オラショを声に出して唱えてきた。

「口伝えであることは変わらないのですが、この島のオラショは、16世紀に伝えられた文言とほぼ一致していることが確認されているのです」

 しかも、生月の「ぐるりよーざ」という唄オラショは、16世紀スペインの一地方で歌われていたグレゴリオ聖歌と同じであることも解明されている。

 400年の長きにわたっても、「伝言ゲーム」に陥らず、変わらないで伝えられることがあるとは、驚きだ。

 紙に記さずとも、人から人へ、真意は変わらず伝えられ、残った。信仰を貫いた当時のキリシタンたちは、いま世間を賑わせている公文書改ざんやニセ記録の問題について、何を思うだろうか。

デイリー新潮編集部