空疎な「HINOMARU」論争(古市憲寿)

社会週刊新潮 2018年6月28日号掲載

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 日本は不思議な国だ。選挙では自民党に投票する人が多いのに、ナショナリズムの高揚には敏感。もっと言えば「日本が好き」や「国を愛する」といった発言はインテリに嫌われてきた。

 しかし最近、状況が変わりつつある。ワールドカップでは、若者が日の丸を振り、日本チームを応援する光景がすっかり定着した。また「日本に生まれてよかった」と答える人の割合も増えている。

 そんな中、ロックバンドRADWIMPSが「HINOMARU」という曲を発表して、インテリたちをざわつかせている。「この身体に流れゆくは気高きこの御国の御霊」「さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に」といった歌詞が「軍歌」っぽいというのだ(スマホが手元にある人は歌詞を検索してみて下さい)。

 確かに「高鳴る血潮」「燃ゆる御霊」といった歌詞は、戦時中、戦意高揚のために量産された軍歌を連想させなくもない。しかし『日本の軍歌』の著者、辻田真佐憲も指摘している通り、「HINOMARU」は軍歌というよりも愛国歌だろう。しかも興味深いのは、タイトルと「日出づる国」という歌詞さえ伏せれば、極めて無国籍的な歌になるとの指摘だ。

 歌詞にあるように、国旗に対してなぜか懐かしい気分を抱いたり、国家の繁栄を祈るのは日本特有の心情というよりも、世界中で普遍的に見られる愛国心の発露である。

 その意味で、「HINOMARU」批判は空疎にならざるを得ない。いくらこの歌が軍歌っぽいといっても、現に日本が戦争をしていないのだから軍歌にはなりようがないし、敵国を叩けと叫んでいるわけでもない。国家の安寧を祈る点において、平和的な歌とも言える。文語と口語の混在など、愛国歌として中途半端といった批判はあるだろうけど。

 ちなみに僕自身の立場を言えば、学校での国旗掲揚・国歌斉唱の強制には反対だし、日の丸の旗を見ても何の感情も湧かない。

 また社会学者として、日本国が太古の昔から続く自然発生的なものにも思えない。現代日本は、明治期に沖縄や北海道への侵略を経て形成された150年程度の歴史しかない人工国家である。少なくとも近世以前の歴史を現代と地続きで考えると、見誤ることのほうが多いと思う。縄文時代の列島人には「日本人」意識なんてなかっただろうし。

 だから個人的に「HINOMARU」は好きな曲ではない。RADWIMPSなら「前前前世」や「会心の一撃」のほうがずっと好きだ。

 だけど第三者が抱く愛国心の自然な発露を止める権利もないと思う。洋次郎くんがそう思って作った歌ならそれでいいじゃん。ついでにいえば、彼はモリカケ問題や、原発に関してかなり批判的な発言をしていたし、戦争に対しても明確に反対していた。

「HINOMARU」を批判するためにRADWIMPSのライブ会場前でデモが行われる計画があるという。真に恐れるべきは有能な敵ではなく、無能な味方であるという言葉を思い出した。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。