元巨人投手の「河野博文」さん “げんちゃんたまねぎ”で東京進出の野望を語る

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「ピッチャー、げんちゃん!」
「河野でしょ」
「いや、げんちゃん!」

 1996年、ピッチャー交代を告げる当時の巨人軍監督・長嶋茂雄(82)と球審とのやりとりだ。風貌が北京原人に似ているから――“げんちゃん”。日ハムから移籍して1年目の投手・河野博文(56)のことである。

 この年、長嶋巨人は11.5ゲーム差をひっくり返し、いわゆるメークドラマを果たす。げんちゃんこと河野も最優秀中継ぎ投手に選ばれるなど、リーグ優勝に貢献した。

「現役時代、監督から一度も本名を呼ばれたことがないんですよ。いまも、たまに電話をいただくんですが、『げんちゃん、久しぶりー』ですからね」と嬉しそうに話す河野さん。

 いまも“げんちゃん”は欠かせない。どころか、なくてはならぬブランドに成長した。

玉ねぎで年商3000万円

 株式会社げんちゃん(群馬県高崎市)――河野が代表を務める玉ねぎなどの野菜卸しと食品加工の会社である。「げんちゃん玉ねぎ」はじめ規格外の玉ねぎ「げんちゃんの涙」、「げんちゃん餃子」、漬物の「げんちゃん玉ねぎレモン」と「五穀酢のさっぱり甘酢玉ねぎ」は昨年(16年)農林水産大臣賞を受賞した。15年8月にオープンした玉ねぎ料理がメインの「居酒屋げんちゃん」も好評という。

 年間200トンの玉ねぎを栽培し、年商3000万円から4000万円! しかし、げんちゃんはいま、会社を整理している。「何かマズいことがあったのか?」と思ったら、事業拡大のために東京に拠点を移すという。

「野球やめた時には、こんなことになるなんて思いもしなかったよね。農業なんて興味もなかった。やったこともなかったしね」(河野さん)

 それにしても、なぜ元プロ野球選手が農業なのか――。

 高知県出身。野球の名門・明徳高校(現・明徳義塾)から駒澤大学へ進み、84年のドラフト1位で日本ハムファイターズへ。88年には先発・リリーフ兼任で防御率2.38、最優秀防御率を受賞。95年にフリーエージェント権を行使して読売ジャイアンツ(巨人)へ移籍。前述の通り、初年度から優勝に貢献するも、99年には自由契約に。2000年は千葉ロッテマリーンズでプレーするが、この年に引退する。

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