元巨人投手の「河野博文」さん “げんちゃんたまねぎ”で東京進出の野望を語る

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玉ねぎ20トンを廃棄処分

「引退後は妻の親戚の不動産屋で働いてました。営業もやりましたよ。そんな中、07年の暮れに独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスからコーチの声がかかったんです。やっぱり野球に関わりたいんですよね。それまで川崎に住んでいましたが、妻も賛成してくれて、娘たちも置いて、単身赴任で群馬に来ることになりました」

 ただし、心残りがあった。広子夫人は乳がんの手術を受けていたからだ。

「こっちが励まされてね。それでピッチングコーチを引き受けたんだけど……」

 09年8月に広子夫人が死去。41歳の若さだった。失意の中、元プロ野球選手らの農業法人への参加を求められる。

「農業に元気を与えようという会社でね、元西武の駒崎幸一が声をかけてくれたんです。でも、農業なんて知らないじゃないですか。それで農家さんで2年間、働かせてもらい勉強したんです。その農家さんが玉ねぎ農家だったから、僕も玉ねぎを作るようになったんです。自分で作った玉ねぎは美味いし、美味しいって言われると嬉しいんですよ」

 プロ時代の貯金をはたいて、無給で働いていたとか。

「12年に初めて本格的に玉ねぎを40トン作りました。でも作ってみたら、売るところがなく、20トンを廃棄することに。もったいなかったですよ。販路を決めてから作らないとダメだと思い知りました。それで営業して売ってもらうところを探し、自分の会社を立ち上げたんです」

 県内のスーパーを中心に販路を開いた。玉ねぎの収穫期以外に年間を通した商品の販売を見すえて、前述の通り15年8月には高崎市に「居酒屋げんちゃん」も開店し、げんちゃんも店に立つと、これも評判に。ネット通販でもげんちゃんブランドは販売されるようになった。

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