「血がつながっているから子どもを愛せる」のか(古市憲寿)

国内 社会 週刊新潮 2018年4月26日号掲載

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 21世紀になってから随分経つ。インターネットの普及で世界中の情報はすぐに入手できるようになったし、有名人の悪口をいくらでもつぶやけるようにもなった。子どもも大人も、橋田壽賀子さんまでがスマートフォンを持ち、情報を検索する。30年前の人がタイムスリップしてきたら、その光景に驚くはずだ。どうしてみんな、下を向いて小さな板をいじっているの、と。

 しかし依然として少しも「未来」になっていない領域もある。たとえば生殖だ。

 特に女性の人生は、生殖可能年齢に縛られている。しかも、その年齢と社会的に望ましいとされる生き方には大きな乖離がある。

 日本でも、10代半ばで結婚して、子どもを産むことが珍しくない時代があった。芳春院(まつ)など数え年13歳で出産している。今でもアフリカでは10代で妊娠する人が少なくない。

 しかし先進国の10代といえば、学校教育のど真ん中。中高生の出産が「非行」のように扱われることもある。そして20代から30代は仕事が一番忙しい時期。ようやく仕事が一段落する頃には、出産が難しい年齢になっている――。

 しかし近い将来、テクノロジーの力が、生殖をもっと自由にしてくれるかも知れない。たとえば、iPS細胞の技術を用いれば、皮膚などから採取した細胞を培養することで、性別や年齢に関係なく、精子や卵子を作り出すことができる。

 要は、同性同士でも、高齢者同士でも、子どもが作れるようになるのだ。場合によって子宮だけは代理母に頼むことになるだろうが、文字通り誰もが、自分の遺伝子を受け継いだ子どもが作れるようになるのだ。

 そうなれば生殖はよりポップなものになるだろう。老後の楽しみに子どもを作ったり、天才同士が実験として子どもを作ったり。倫理的には大いに議論されることになると思う。ただし残念ながら、現在はまだ研究段階。実現までにはかなり時間がかかりそうだ。

 しかし技術の進化を待たなくても、生殖から自由になる古くからの方法がある。養子や里子、結婚相手の連れ子など、自分とは遺伝的につながっていない人間を、子どもとして迎え入れるというスタイルだ。

 僕自身、自分の遺伝子を後世に残したいという強い願望はない。仮に結婚したとしても、僕よりも優秀そうな友人の子どもを育てたいとも思う。1人は夫婦の子どもでもいいが、もう1人は友人に精子提供をお願いしたい(と「ワイドナショー」で発言したら、スタジオの温度がすっと下がった)。

「血がつながっているから子どもを愛せる」というのは、フィクションだと思う。だって人類は、種が違うはずの猫や犬を愛することができるのだ。しかも自分が親しみを持つ友人の子どもだったら、きちんと大事にすることができると思う。

 そもそも今でも、全く気付かずに、父親が自分の遺伝子を受け継いでいない子どもを育てているケースは決して少なくない。その割合は数%とも1割以上とも言われている。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。