「西部邁」私淑の2人 自殺を幇助するまでの顛末記

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塾頭と番組プロデューサー

 青山は54歳。バルブ関連の会社に勤めるかたわら、西部氏の私塾「表現者塾」の塾頭も務めた。窪田は、東京MXの番組「西部邁ゼミナール」のプロデューサーで45歳。MX子会社の社員だ。いくら、病院死よりも自裁死を選ぶと西部氏がつねづね口にしていたといっても、それを手伝えば、どんな事情があろうと罪になる。いい大人がそんな道理を分からぬはずがないとも思うが、文芸評論家の富岡幸一郎氏によると、

「2人は西部先生の死生観に共鳴していた、それだけは間違いありません。青山さんは先生と古い付き合いでした。表現者塾の前身の発言者塾のころ、90年代からのメンバーです。ほかの塾生のように侃々諤々の議論をするタイプではなく、我を出しませんが、いつも一歩引いたところで先生のそばにいました」

 一番最後まで西部氏のそばにいたとされる窪田は、

「塾生ではなかったものの、シンポジウムなどにはよく参加していました。先生の人間力、存在感に共鳴していたんだと思います」

“私淑”から、親しく接して感化を受ける“親炙(しんしゃ)”へと転じた2人について、西部氏の長女は、

「青山さんは20年以上、窪田くんは10年以上の付き合いでした。迷惑をかける結果になってしまって、本当に申し訳ないです」

 今際(いまわ)の時、西部氏の脳裏に彼らは過ったろうか。

週刊新潮 2018年4月19日号掲載

ワイド特集「春の嵐吹きやまず」より

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