オウム「地下鉄サリン事件」死刑囚 再審請求は“生への執着ではない”

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“修行の天才”井上

 事件が起きたのは、1995年3月20日のことだった。この前年6月、松本サリン事件が発生。現場は松本市の裁判官官舎周辺で、オウムは支部開設を巡ってここで住民から訴訟を起こされていた。程なく山梨県上九一色村にあったオウムのサティアン付近の土壌からサリンの残留物が検出された。これが95年元日、読売新聞に報じられ、2月には仮谷清志さんの監禁致死事件も発生。いよいよ教団への強制捜査が迫ってきた。それを避けるために麻原彰晃が命じたのが、サリンを都心地下鉄へ散布し、警察を混乱に陥れて捜査を食い止めること。“計画”の総指揮に、後に刺殺された村井秀夫、アジトや車を用意する「総合調整役」には井上嘉浩が選ばれた。彼らの下、実際にサリンを撒く「散布役」に選ばれたのが、林郁夫、林泰男、豊田亨、広瀬健一、横山真人の5名。彼らは3つの路線に分かれ、猛毒の入った袋を傘で突き、13名の命を奪った――これが事件の概要である。

〈牢獄に しみいる寒さ 罪を知る 生きていてこそ ふるえる命。〉(支援団体HPより)

 昨年11月、そんな歌を詠んだのがそのうちの1人、井上である。今は大阪拘置所に移送され、執行を待つ。

 歌からは悔恨の念が窺われるが、一方で、井上は3月14日の移送当日、再審請求を申し出ている。一般に死刑囚が再審を請求している場合、刑の執行は行われないのが通例だから、これは「執行逃れ」との批判を浴びた。反省か、延命か。どうにも本心を図りかねる男、それが井上である。

 1969年、京都府生まれ。家庭は不和で、父は借金苦、母も自殺未遂を起こしていた。高校在学中、わずか16歳で入信。大学に進学したが、半年も経たずに中退して出家した。“修行の天才”と謳われ、水中で無呼吸で冥想する「水中クンバカ」を5分以上も行ったことでも知られる。教団では「諜報省長官」として、数々の非合法活動を担い、地下鉄サリン事件の他にも、VX殺人事件や、仮谷さん事件にも手を染めてきた。教団では、「神通並びなき者」と称された井上だが、一方で“冷めた目”で見られていたのも事実である。

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