全国から芸妓衆が結集 奈良「元林院」復興プロジェクト

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 芸妓(げいこ)と舞妓(まいこ)は、京都だけの専売特許ではない。お隣の奈良・元林院町(がんりいんちょう)にも花街はありました。

 その奈良で“ならまち花あかり〜全国花街技芸まつり〜”と銘打って、一大イベントが開催される(2月24〜25日)。全国30の花街(京都5花街、東京神楽坂、金沢主計町茶屋街など)から数十人の芸妓が結集参加、古都の花街を盛り上げようという日本初の企ても3回目を迎えた。

 奈良の花街“元林院町”に詳しいさる古老が言う。

「奈良の花街は、唯一ここだけ。興福寺の別院である元林院の名にちなんだ命名です。ここを出身地とする画家・絹谷幸二が祇園から芸妓を連れて帰り披露したことも。このイベントでは、敷居が高いと思われがちな“お座敷遊び”を一般の方々に味わって頂く老舗料亭での“大宴席”や、美しく古式ゆかしい“大和をどり”など趣向が凝らされています」

“芸妓の街”となった大正から昭和初期にかけて、元林院町には200人以上の芸妓と舞妓がいたというから往時の賑わいが偲ばれる。

「しかし、旦那衆が激減したここ四半世紀は衰微の一途。今では悲しいかな、一桁しかおりません」(同)

 そこで花街元林院町の復興に立ち上がったのが、芸妓菊乃(きくの)さん。イベントの関係者が言う。

「大阪市生まれで、中学を卒業後、長唄、三味線、日本舞踊、小唄、書道、茶道、華道、お囃子を修めます。並行して、奈良『菊水楼』、叔母の経営するお茶屋『つるや』で舞妓の仕込み、3年後の平成2年10月に『菊水楼』でお披露目して、芸妓になりました」

 その後は、国内外でその名を知られる芸妓となり、今では株式会社「つるや」の代表取締役を務めている。

 その菊乃さん、奈良は京都に負けない有形無形の伝統文化を育み継承してきたと自負している。

「そのために“奈良・元林院花街復興プロジェクト”を自ら立ち上げ、外へのアピールと、舞妓、芸妓の育成にも力を注いでいます」(同)

 奈良の花街に再び灯は点るか?

週刊新潮 2018年2月22日号掲載

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