銀座・泰明小学校のアルマーニ騒動 元父兄が本音を語る「何が問題なの?」

社会2018年2月11日掲載

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外人の参観を考慮に入れた校舎

 1878年(明治11年)の創立で、卒業生には北村透谷(1868~1894)や島崎藤村(1872~1943)、近衛文麿(1891~1945)、殿山泰司(1915~1989)、加藤武(1929~2015)、朝丘雪路(1935~)など多士済々。現在のモダンな校舎は関東大震災後の復興校舎で、1929年に竣工した。その頃に刊行された「大東京案内 新版」(今和次郎:編/中央公論社[現在は「ちくま学芸文庫」より刊])に、泰明小学校はこう説明されている。

《昔の銀座が赤煉瓦で作られた頃、我国最初の煉瓦造りの小学校として当時ハイカラの名を恣(ほしいまま)にした古い歴史ある学校であるが、今は汽船を思はせるダーククリームの三層楼、超モダンの名で呼ばれる校舎で復興した。工費四十五万円、一年三ケ月を費した鉄筋コンクリート建で総坪千二百九十八坪、教室二十、七百人を容れる講堂、屋上運動場、地下室等もあって、贅沢に一列に並べた教室は、採光に申し分なく、理科、手工、唱歌、図画等の特別室は、いづれも最新式の設備を尽くしてゐる。(中略)市内目ぬきの場所ではあり、附近に帝国ホテルがあるため、外人の参観を考慮に入れて、小学校としては最高の費用と材料を使用して、はづかしからぬものにしたのである》

 当時から見せることを意識した、つまりは外観を繕った“見栄っ張りな小学校”なのである。アルマーニぐらい、どおってことはない。銀座みゆき通りに面した正門=「フランス門」=など、南フランスのとある貴族の館から移築されたとも……。

 あなたの通った公立小学校にこんなのありました? そもそも「標準服」はありましたか?

 同じ公立小学校だからといって、一緒に考えてはいけない“ガッコ”のようだ。だから、前出の父兄もアルマーニの採用には肯定的だ。

「別にいいんじゃないですか、だって泰明ですよ。教員もトップクラスで中央区のフラッグシップの学校なんですから。特認校制度になる前は、我が子を泰明で学ばせたいと、東京、埼玉、神奈川、千葉の4都県30自治体から通っていたほど。両親の勤務先が銀座にあれば、入学できたんですよ。親もそこまでして通わせたいのですから、駅などのお迎えといったPTA活動にも熱心だし、意識も高かった。児童にだって“自分は特別だ”というモチベーションが生まれたんです。だからこそ、学区内の児童は少ないにもかかわらず、80年代の学校統廃合の波に埋もれることもなく、生き残ったんです。しかし、09年でしたか、中央区が特認校制度として、区内ならどこからでも通えるようになって以来、児童のそうした“特別感”も薄らいできているといわれています。中央区なんて小さいですからね、遠くから通わせた両親とは学校に対する思い入れが違いますよ。校長も“名門・泰明”を維持させたかったのでは」

 泰明小の学区は銀座1丁目~8丁目(一部は京橋築地小学校)で、まさに銀座そのもの。1学年2クラス、全校児童365人の小ぶりな小学校ながら、学区内から通う児童だけでは埋まらない。それを補ってきたのが、越境してまで通わせたいと願う両親の子息なのだ。

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