東条英機、田中角栄が浸かった湯を追体験! 宰相たちが愛した「名湯」「隠れ宿」

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東条英機が浸かった湯

 そんな近衛の後を継ぎ、戦争遂行を巡って彼と対立することになる東条英機は、総理時代に群馬県四万(しま)温泉の積善館(せきぜんかん)を訪れていた。

 17代目当主・関善平の手記『思い出すままの記』によれば、東条が宿泊したのは昭和17年8月4日のこと。生活物資が逼迫する中、ガソリン不足を補う木炭の生産現場を視察した道すがらだったという。混み合う夏、当時も人気だった積善館は既に満室で、善平がお客に相談したら部屋を空けてくれ、総理を山荘「月の間」に通したと綴っている。

 翌朝5時に起床した東条は、袴姿で町を散策に出かけ、四万温泉の共同浴場が料金もとらず開放的であることを褒め、半自炊の湯治スタイルにも興味を持ったという。行き交う子供たちにも気さくに挨拶。ある少年の父が戦死したことを知ると、〈おぢいさんと一緒に帰ろう〉とその少年と手をつないで歩く姿が『思い出すままの記』に描かれている。今でも宿に飾られた写真を見れば、その時の情景がより実感できるだろう。

 積善館を営む黒澤大二郎社長(68)によれば、

「東条さんがお泊まりになった『月の間』は、現在の『茜1』にあたり、今でもご宿泊が可能です。お入りになったお風呂は、昭和5年に作られました『元禄の湯』だと思います」

 さっそく東条が浸かった湯の扉を開けると、入口が高い所にあるためロマネスク様式の浴場全体を見渡せる。アーチ型にふちどられた大きな窓から射し込む光は、タイル張りの床と石造りの5つの湯船を照らす。浴槽からは湯けむりが立ち上り、湯が溢れ出ていた。

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