実業家から一転、衛生係と図書係に… 「井川意高」「ホリエモン」“ムショ生活対談”

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懲役4年「井川意高」vs.懲役2年6月「ホリエモン」の獄窓対談(2)

 大王製紙の井川意高元会長(53)とホリエモンこと堀江貴文ライブドア元社長(44)が、刑務所生活について赤裸々に語り合う。「喜連川(きつれがわ)」に収監された井川氏と、「長野」の堀江氏。ともに若手実業家だった2人が塀の中で受け持った“仕事”とは。

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堀江 僕が、刑務所で担当したのは、衛生係でした。基本、なんでもやることになっているんですが、そこでローカルルールができるわけです。下っ端が、皿洗いや風呂、便所の掃除、高齢者が汚したパンツも洗う役目になる。

井川 衛生係は、優秀なのが就きますよね。

堀江 僕は、下っ端としての仕事は3カ月で終わって、次は作業指導というのがメインになりました。工場に材料を運んだりとか、完成品を箱に詰めたり、あとは会計や勤怠管理などです。僕の工場は、ゴルフティーとかを作ってましたね。

井川 ゴルフティーね、喜連川にもあった。

堀江 芝に刺すところとボールを載せるところのジョイント部分を組み合わせるというものでした。そういう簡単な作業しか、あるいはそれすらもできないモタ工ばかりでしたから。

井川 モタモタしているからモタ工とか、オタオタするからオタ工と呼ばれているんですよね。

堀江 長野は、高齢者や知的に問題を抱えている受刑者が多かった。あと、キノコの栽培に使うビンのフタも作っていました。キノコの種類によってフタが違って、濾紙みたいなのが入っていたり、空気穴の開き方も色んなバリエーションがある。一番難しかったのは、福島名物の起き上がり小法師。ボール紙の段階の一から作っていくので、結構、面倒臭かった。規則という面では、うちの工場はモタ工ばかりでしたから、すごく緩かったです。

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