年間10億近く売り上げた「マハラジャ」 仕掛人・成田勝氏が語る

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「お立ち台」を発案

 大阪ミナミのマハラジャ1号店が大当たりしていたのは僕も知っていました。その菅野さんから「いい場所があるから一緒に店をやらないか」と言われまして。そこが麻布十番マハラジャを出した場所なんですが、当時はまだ、菅野さんも東京でマハラジャを展開しようとは考えていなかった。ただ、その後、僕は熊本に出来上がったばかりの新しいマハラジャを視察したんです。ガラス張りのVIPルームが並ぶ広い店内を見て、そのスケール感とゴージャスな雰囲気に圧倒された。このディスコを東京に持ち込んだら必ず成功する。そう確信して、菅野さんに「マハラジャをやりましょう」、と。

 そして、僕が25歳の時に麻布十番マハラジャはオープンを迎え、立地の悪さにもかかわらず、一気に人気を獲得します。2フロア合わせて220坪という大バコで、「東洋一の広さ」を売りにしていました。全盛期の売り上げは月7000万~8000万円、年間で10億円近くに上ったと思います。

 開店資金に投じた4億円は当時としては破格でしたが、わずか2年足らずで回収できました。

 東京にマハラジャを出そうと決めた時、僕はディスコのイメージを一新したいと考えていました。

 それまでのディスコは不良文化の名残があって、酒に酔ってケンカになるのは日常茶飯事。ふつうのサラリーマンが気軽に立ち寄れる雰囲気じゃなかった。そこで、まずは女性客でも安心して入れるような店を作ろう、と。

 結局、ディスコは女性客で賑わっていないと盛り上がらないんですね。実際に麻布十番マハラジャの客層は6割以上が女性。カップルや女性同士では入店できましたが、男性だけの入店はお断りしました。そのため、店の前は「一緒に入りませんか」と女性をナンパする男性で溢れていました。

 さらに、女性客を目立たせるために発案したのが「お立ち台」でした。

 フロアが黒山の人だかりになると、いい女がいても埋もれてしまいます。その時に思い出したのが、よく遊びに行った六本木のクラブの様子でした。その店は外国人客が多く、彼らは好みの音楽が流れると、テーブルやカウンターの上に飛び乗って踊り出すんですね。これを参考にしようと考えました。ハイヒールで踊っても傷つかないようカウンターやテーブルは全て大理石にして、いくらでも乗ってください、と。いわばお立ち台の原型です。最初は戸惑っていた女性客も、雰囲気に呑まれてお立ち台に上るように。そのうちお立ち台で踊ることがステータスになって、「ここは私の場所よ」と言い出す女性客まで現れた。

 初めて店を訪れた男性客はポカーンと口を開けて眺めていましたよ。何しろ、目の前にワンレン・ボディコン姿の女性客の綺麗な足がズラッと並んでいるんですから。

 僕が目指したのは非現実的な空間です。黒服も見栄えがする男の子ばかりを集め、顔にはドーランを塗らせました。早稲田や慶應といった六大学の学生も多かった。電通に入ったり、起業して社長になった元黒服も少なくありません。

 また、全盛期のVIPルームにはいつも歌手や芸能人の姿がありました。アン・ルイスや中森明菜、トシちゃんにマッチなど、僕とほぼ同世代の芸能人がこぞって訪れてくれた。テレビの歌番組の収録が終わると、出演者がそのままマハラジャに流れてくるような印象です。

 麻布十番マハラジャはオープンから10年ほどで閉店します。まさにバブルとともに最高潮を迎え、その崩壊とともに幕を閉じたと言えますね。

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 現在発売中の「新潮45」10月号では「バブル」を特集。「私が会った『闇の紳士』たち」(一橋文哉)、「DCブランド興亡記」(上阪徹)といったラインナップで、あの“狂乱”の時代に迫る。

成田勝(なりたまさる) イディア株式会社代表取締役社長
1959年、兵庫県生まれ。「麻布十番マハラジャ」を筆頭に「青山キング&クイーン」など多くのディスコを手掛ける。「ヴェルファーレ」のアドバイザーも務めた。

新潮45 2017年10月号掲載

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