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服役27年「浦島太郎」で戻った元連合赤軍「植垣康博」未完の原稿
「あんたは総括すべきよ!」。その一言で妊婦がなぶり殺され、ある者は刃物で心臓をえぐられる。四十数年前、暴力によって理想社会が作れると信じ、そのために14人の仲間を殺した集団がいた。当時、連合赤軍の「兵士」として凄惨な現場にいた植垣康博氏(67)が振り返る。
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1998年10月、甲府刑務所を出た植垣氏は、浦島太郎になった気分だった。
「若者の顔が変わってみえた。ずんぐりむっくりだったのが、皆が細くなっていたんです。会話も成り立たなかった。他愛もない日常会話が出てこないんです。...
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35時間に及ぶ学生と機動隊の攻防…東大に炎が上がった「安田講堂事件」
全共闘運動、そして全ての学園紛争の“天王山”として記憶される「東大安田講堂事件」――。
その火種となった東大紛争は、“登録医制度”に反対する医学部の学生たちが、無期限ストに及んだことに端を発する。
これに対して大学側は強硬な姿勢に徹し、医局員と揉めた学生17人に退学を含む厳しい処分を下した。後に、そのうち1人の学生に誤認処分の可能性が強まるが、大学当局は処分の撤回に応じなかった。
業を煮やした学生たちは昭和43年(1968)7月2日、安田講堂のバリケード封鎖を敢行。...
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