新発見「小津安二郎」戦地の置手紙 スター俳優に〈一緒にめしでも〉

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 日本を代表する映画監督・小津安二郎の戦時中の足跡がうかがえる、貴重な資料が発見された。日中戦争で中国に召集されていた小津が、松竹スター・佐野周二に宛てた置手紙である。

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 今回発見された手紙は、映画演劇史料収集家の松田集氏が横浜の骨董店で見つけ購入した。

 松田氏によると、手紙は1939年(昭和14)年1月末、中国・漢口に召集されていた小津が、同地に従軍していた佐野に宛てたもの。当時、すでに映画監督と銀幕スターとして名声を博していた2人は、中国の異なる戦地で3度会ったことが分かっている。今回の手紙は、3度目の邂逅の際、小津が佐野の宿舎を訪れたが不在だったため、翌日の約束を言づけたものと見られる。

 手紙の中で小津は、翌日また会いに来ると書いた上で、「一緒にめしでも食いたい。だから居てくれ」などと書いている。

 小津の日記には、この置手紙の翌日に2人で酒を酌み交わし、佐野が雨の中、いつまでも小津に手を振り続けていた様子が記されている。手紙の数カ月前には、小津の盟友で「人情紙風船」などの作品で知られる映画監督・山中貞雄が同じ中国の戦地で病死しており、お互いに明日をも知れぬ身だった。

 資料を所有する松田氏は、「何気ない内容の置手紙だが、佐野がこれを後生大事に保管していたことに、小津への想いを感じとることができる」と話す。

 その後2人は無事帰国し、佐野は「父ありき」「麦秋」などの小津作品に出演した。

 本日発売の「新潮45」8月号グラビアでは、手紙のほか、戦地での小津と佐野の写真や、佐野が日本のファンに宛てた「戦地通信」など松田氏が所有する貴重な資料が掲載されている。

新潮45 2017年8月号掲載

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