【「原節子」の後半生】浮かんでは消えた「小津安二郎」「三船敏郎」「マッカーサー」……プロデューサーとの逢引きをセット! 喫茶店ボーイの証言

芸能週刊新潮 2015年12月10日号掲載

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「永遠の処女」なる呼称には、原節子本人も閉口していたに違いない。どれほど神格化したところで、彼女も生身の女。実際、ロマンスの噂は浮かんでは消えたし、そればかりか、ロマンスの告白者も、目撃者もいたのである。

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 原節子の美貌について、小津安二郎が監督した『東京暮色』(1957年公開)で共演した女優の有馬稲子さん(83)は、「不世出」「空前絶後」と形容し、

「私が演じる妹が警察沙汰を起こして、姉である原さんが迎えにきたとき、帰りにマスクをかけていたんですが、西洋人のように鼻が高く、マスク姿がハッとするほど美しいんです」

 と述懐する。それほどの美女が殿方の気を惹かなかったわけがないが、映画評論家の白井佳夫氏は、

「(49年公開の)木下惠介監督『お嬢さん乾杯!』の中に、原が相手の男の人に“私、惚れてます”と言う場面があるのですが、撮影の際、彼女はなかなか現れなかったそうです。“そんなセリフは恥ずかしくて言えない”というのが理由で、監督は、だからこそ言わせたい、と思ったそうです」

 という逸話を披露。そんなことの積み重ねで、“永遠の処女”のイメージがいっそうまとわりついた原だが、実は、かなり早くからロマンスを経験していた。

「ドイツに行った経験があったので、ちょうど仕事でドイツに行くという節子さんに、ヒトラーユーゲントとはこうだ、などとアドバイスしたのがきっかけで親しくなったんです」

 以前、本誌の取材にこう語っていたのは、2004年に89歳で物故した矢澤正雄さん。陸上短距離の代表選手としてベルリン五輪に出場し、帰国直後の36年秋、のちに触れる日独合作映画『新しき土』の撮影でドイツに渡る前の、16歳の原節子と出会ったのだ。

「よく餅菓子を食べに行き、行き帰りは別々にして銀座で落ち合った。手紙のやり取りもしていました」(同)

 だが、順調だった2人の交際も戦争の波に呑まれる。召集令状を受け取った矢澤さんは、原を鎌倉の海に誘い、「生きては帰れない」と告げて戦地へ赴いたが、文通は続けたという。

 43年、無事復員した矢澤さんは「本当に生きていてくれてよかった」という原の歓待に、「なにをおいても彼女と一緒になろう」と決意したというが、

「厳格な父に“ああいう華やかな仕事をしている人は、お前のためにならない”と大反対されたのです」

 7年に及んだ恋愛は、こうして潰えたという。

 占領下の日本では、

「原節子がマッカーサーの愛人になった、とまことしやかに言われていた」

 と、先の白井氏は回想するが、事の真相はこうだという。マッカーサーは『新しき土』を見ていて、原節子が「チャーミングだ」と漏らした。それが外国人記者に伝わって――。

キュウコに潰された

 小津監督との関係に触れないわけにはゆくまい。原が63年の小津の通夜を最後に隠遁生活に入ったことからも、相思相愛説がまことしやかに語られてきたが、小津の弟の妻ハマさんが生前、本誌に語った話に、多くの関係者は同意する。

「小津は原さんを“自分の意図したところを汲んでうまく演技してくれる女優で、尊敬している”と、常々口にしていました」

 実際、小津は新橋芸者と交際していたという。

 原節子に向かって、「あんた、本当に好きな人はいないのか」と、大胆な質問をした旨を本誌に語っていたのは、09年に95歳で没した元映画プロデューサーの堀江史朗氏。原が「素敵だなあと思った」と答えた名は三船敏郎だったが、堀江氏はこう続けていた。

「ロケ先で夜遅くに雷雨があって、三船が“節ちゃん、怖いよう”と原の部屋に飛び込んできて、すっかりやになっちゃったそうです」

 俳優の“ニアミス”について語るのは白井氏で、

「映画評論家の大先輩から聞いた話ですが、ある映画の撮影中、ロケ宿で俳優の伊豆肇が、たまたま旅館の一室に原節子と2人きりで、いよいよというときに人が入ってきた。あと10分遅ければ、と悔しがっていたというんです。まあ私は絶対信じたくないですがね」

 続いてはロマンスの目撃談である。昭和20年代、下北沢にあった「マコト」という喫茶店でのこと。アルバイトをしていた藤井哲雄さん(85)が証言する。

「ある日ママに“明日は藤本先生が来るから2階の部屋をよく掃除しておいて”と言われました。すると翌日の昼下がり、のちに東宝映画社長になる映画プロデューサーの藤本真澄さんが、後ろから原節子さんが現れたんです。それから1年ほど、月に1、2回は従業員に暇が出され、建物が2人に提供されていました」

 彼らの密室での過ごし方は、もはや知るすべもないが、12年に亡くなった映画監督の堀川弘通氏は、

「藤本さんはのちに“節ちゃんと結婚しようと思っていた”と白状した」

 と、本誌に答え、その際にこうも語っていた。

「節ちゃんは何度か恋愛したが、すべて義兄のキュウコに潰された」

 藤本氏のほかにも、

「私の1年先輩の清島長利さんは節ちゃんと相思相愛だったが、一介の助監督と噂を立てられては困るから手を切れ、と言われ、東宝で監督をしていた古澤憲吾も“節ちゃんと結婚する”と言っていたが、キュウコに潰されたようだ」(同)

“キュウコ”とは、原節子を映画界に導いた義兄の映画監督で、原を厳しく管理していた熊谷久虎のこと。

「『新しき土』の宣伝に、原は世界一周旅行に出ましたが、ドイツを回った2カ月は熊谷と2人だけ。戦時中、原が大分県中津に疎開した際も熊谷と一緒。原は熊谷の言うことはなんでも聞くし、2人の関係は疑われていた。熊谷との関係があったから、原は結婚できなかったのだと思います」

 とは映画評論家の西村雄一郎氏の見立てだが、いずれにせよ、“恋多き女”と言ったほうが正確であることは間違いなさそうだ。

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目次〈1〉

目次〈2〉