「慰安婦問題」に日本政府の反論文があった 「クマラスワミ女史」を論破

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■「奴隷制」への反論

 公平さを欠くどころか、彼女は法律論も基本的な国際法の原則さえも知らないと指摘。次々とクマラスワミを論破していくが、注目するべきは報告書が発端となった「性奴隷」という呼び名についての日本政府の反駁だろう。

「反論文」の該当箇所には、以下の記述がある。

〈『奴隷制』の定義は、その当時の国際法のもとで一般的に受け入れられてきた。(中略)1926年の奴隷条約の締結以来、国際法で使われる『奴隷制』という用語は、所有者の有する権利に付随する一部、あるいはあらゆる権力が行使される人の地位または状態と定義されてきた。

 しかしながら、『慰安婦』に関しては1993年に発行し、第45回国連人権小委員会に提出した日本政府の事実調査の結果では、このような『地位または状態』があったとは証明されなかった〉

 一部では「奴隷制」状態にあったといえるだろう、と有馬氏はこの反論の瑕疵を認めるものの、〈クマラスワミは、「慰安所」などに入れられ、軍に管理されているのだから「奴隷」だと、今日的な基準でいっているにすぎない〉とし、こう続ける。

〈そもそも当時は、アジア、アフリカはいうにおよばずヨーロッパなどにも売春施設が沢山あった(略)軍が関わると「奴隷制」で、民間業者だとそうではないという理屈は成り立つのだろうか。それに、戦地や占領地なのだから、軍が設置した「慰安所」で女性たちに営業させ、軍がその施設の運営規則を定めたり、性病チェックに関わったりするのは当然だろう。ドイツ軍も同じことをしている。アメリカなど連合国の軍隊でさえ、民間の買春施設を使用したとき同じようなことをした。

 戦地でも占領地でもないところで、軍が乗り出してきていろいろコントロールしたというならば別だが、「廃業の自由」(※1900年制定の「娼妓取締規則」)があった以上、この当時の基準では「奴隷制」とはいえないのではないか。実際、慰安婦が里帰りしたり、観光旅行をしたりした例も見られる〉

 有馬氏は反論文を〈ほとんどすべての論点においてクマラスワミを完全に論破している〉と評する。こんな反論文が出されていたら、特別報告官であるクマラスワミも立つ瀬がなかったに違いない。では、それほど優れた文書が葬り去られた理由はなぜなのか。そこにはアメリカの存在があったのだ。詳しくは、本誌5月号掲載の記事、つづく来月号で確認して頂きたい。是非、反日大統領にも一読してもらいたい論文である。

デイリー新潮編集部

新潮45 2017年5月号掲載

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