塩野七生が語る「衆愚性」と「ポピュリズム」 その似て非なる関係を解説

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■悪魔に一変

古代ギリシアの歴史年表

 ローマ帝国滅亡の一因とされている蛮族の侵入。私が学生であった頃の日本の学界では『蛮族の侵入』ではなく『民族の大移動』とするべきだと言われていたのですよ。

 でも、ローマ帝国内に侵入してきた『蛮族』がフランス人やドイツ人になるのは『侵入』から500年が過ぎてからです。だから、500年という歳月をうっちゃってしまえば、『大移動』と言えないこともない。

 しかし、北方からの侵入に直面していた当時のローマ人の気持ちになったとしたらどうでしょう。武器を持ち、抵抗する者は容赦なく殺し、すべてを奪い、しかもそのまま居ついてしまう北方人は、やはり『蛮族』に見えたのでは?

 机上の空論をもてあそぶのならば、一生を捧げる価値はない。私が書きたいのは、あの時代に生きていた人々はどのように感じていたのか、なんですからね。

 それに、『愚になった衆』を手段に使って権力を獲得するという点までは、『ポピュリズム』と『デマゴジア』は似ています。でも、『ポピュリスト』は『デマゴーグ』(大衆扇動家)と比べれば危険度は低いのです。

 なぜなら、大衆に迎合するのがポピュリストだから、大衆の要望は数多いので、それをすべて満足させることは不可能。だから、いずれは勢力を失っていく。

 一方、『デマゴーグ』は、大衆のニーズをかなえようとは露ほども思っていない。この人々にとっての大衆は、手段にすぎないからです。だから、権力を手中にするや悪魔に一変する。

 ヒットラーに影響される前のムッソリーニはポピュリスト。ヒットラーは始めからデマゴーグ」

――塩野さんは『ギリシア人の物語』第1巻で「棄権や少数意見をことさら重要視すること自体が、民主政治の精神に反することになる」と書いています。日本で政権与党が強行採決をするときに「少数意見の軽視」「数の横暴」ということがよく言われます。なぜ日本ではそのような言い方がなされるとお考えですか。

塩野「日本人が、民主政とは、50%プラス一票でも多く獲得した側が政権を一手にするという、厳しくも明解な基本原理をわかっていないのか、それとも『わかりたくもない』かのどちらかでしょう。

 デモクラシーとは、壊れやすいだけでなく、厳しい選別でもあるのです。だから、ぼくらの民主主義なんだぜ、なんて簡単に言ってくれては困るんですよね」

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(5)へつづく

特別寄稿「塩野七生『ギリシア人の物語II』刊行! 後編 もし歴史に『イフ』があったら」より

週刊新潮 2017年4月13日号掲載

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