野に放たれる「殺人認知症ドライバー」 免許再交付の可能性も

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 アテもなく彷徨(さまよ)う徘徊老人が、凶器と化した車のハンドルを握る――。そんな椿事が思わぬ展開を見せた。事故を起こして子供の命を奪った容疑者が、逮捕されるも処分保留で野に放たれたのだ。今後、不起訴となれば、再び公道を走ることも赦されてしまうという。

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免許再交付も可能(写真はイメージ)

〈起訴するに足りる証拠がないので釈放する〉。2月16日、横浜地検が下した決定に、唖然としたのは被害者家族だけではあるまい。

 昨年10月28日、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)容疑で逮捕された合田(ごうだ)政市容疑者(88)は、神奈川県横浜市内で軽トラックを運転中、登校中の小学生の列に突っ込む事故を起こす。その罪は重く、小学1年の田代優(まさる)くん(当時6歳)が帰らぬ人となり、6人の児童が重軽傷を負ったのだ。

 全国紙社会部デスクの話。

「逮捕直後、合田容疑者は“どうやってここに来たのか分からない”などと発言。事故後の実況見分でも記憶が曖昧で、地検は認知症の疑いがあるとして3カ月間の鑑定留置を実施したのですが、勾留期限を迎えて釈放したのです。今後も在宅で捜査を続けますが、不起訴となる見込みです」

 背景には、認知症を患っていても、容疑者本人に事故を起こすまでその自覚がなく、周囲もそれを察知して運転を止めるよう進言していなかったことがある。

 故意に病気を隠して運転を続けていたのではないのだから、刑事責任は問えないという理屈だ。

 なんとも解せない話だが、合田容疑者の自宅を訪ねてみると、周囲からはこんな声が聞こえてくる。

 彼をよく知る近所の80代男性が言う。

「合田さんは街で会うと“車に乗せてあげようか”と声をかけてくれてね。今どきそんなこと言ってくれる人なんていないでしょう。運転が上手で、特に車の停め方がうまかったよ」

 奇しくも、辺りには30年ほど前まで歌手の矢沢永吉が住んでおり、入れ替るように越してきた合田容疑者は、自らの愛車を永ちゃんと同じ駐車場に止めていた。土木関係の仕事に従事しており、早朝から自らハンドルを握っては、作業員姿の男性らと出かけていたという。

 齢90近くでも運転の腕には自信があったようで、近所のゴミ捨て場や自宅から徒歩3分ほどの公園へ行く際も、常に車を使う姿が頻繁に目撃されている。

 近所に住む夫妻は、

「公園のお花の管理を1人でやっていてね。春夏秋冬の花を植えてくださったり、こまめに水をやってくれたりして本当に良い人だった。水が重いからと軽トラックで運んでいたけど、夜中に徘徊することもなく認知症とは分からなかった。自治会役員として仕事もこなして、会えばハッキリとした声で挨拶をする気持ちのいい人。だから、事故を起こしたと聞いて本当に驚きましたよ」

 認知症には見えなかった──他に聞いても口々に同じ印象を述べるのだ。快活な老人が、なぜ突如として理性を失ってしまったのか。

■患者が700万人

 そもそも、認知症の患者は日常でも見過ごされることが多いという。

 地域交通医学が専門で高知工科大学客員教授の医師・朴啓彰(パクケチャン)氏が解説する。

「認知症は周囲が気づかないまま進行することもあります。臨床の場で感じるのは、アルツハイマーの方はすごく愛想がいい。例えば、“食事はしていますか”と尋ねると、“ちゃんと食べてますよ!”と答える。けれど、その家族に聞けば、“食べたことも忘れてしまって大変なんです”と、まったく違う答えが返ってくるんです。今までできていた運転が、突然うまくいかなくなることも考えられます」

 最悪の形でその病に周囲も気づかされたワケだが、娑婆に出た合田容疑者にはこんな懸念もある。

 交通事故に詳しい弁護士の加茂隆康氏によれば、

「たとえ不起訴になっても、重大事故を起こした事実は動かしがたい。行政処分で免許はいったん取り消されますが、現行法では今回のような死亡事故を起こしても、将来的に公道上を走ることができるのです」

 事故後、1〜5年の欠格期間という“謹慎”が解けて運転試験に合格すれば、再び免許が交付される。

 むろん、合田容疑者が望めばの話だが、その自由は保障されているのだ。

「特に認知症の老人は“俺は大丈夫”という心理が働いて車を運転してもいいと考える。もちろん、再取得の際は認知症の有無を含めて心身に問題がないかを調べられますが、検査をすり抜けられてしまう可能性もあるのです」(同)

 3月12日から道路交通法が改正され、警察は認知症の検査を強化する方針だが、そのやり方に問題があると先の朴氏が指摘する。

「法改正では、75歳以上の高齢者が信号無視や一時不停止のような違反をした場合、認知機能検査の受診を義務づけられます。ところが、その方法は従来と同じ。警察は認知機能の中でも記憶中心、アルツハイマーの症状を中心に調べますが、幻覚が出るようなレビー小体型や、前頭葉が破壊されて乱暴な運転になるピック病を患う高齢者は見過ごされてしまう。それらの症状もカバーできる検査を、より充実させていくべきです」

 厚労省は、2025年に全国の認知症患者が700万人を突破すると発表した。

 制度に抜け目がある以上、再び理不尽な悲劇は繰り返されてしまうのか──。

ワイド特集「早春の椿事」より

週刊新潮 2017年3月2日号掲載