ユーミンとの新婚旅行に吉田拓郎! 松任谷正隆さんの貴重な証言

芸能2016年11月14日掲載

 今年70歳になった吉田拓郎さんが、首都圏ツアーを終えたのは先月末のこと。
 その直後、今月2日には松任谷由実さん(62)のニューアルバム「宇宙図書館」が発売になった。
 どちらもベテランの超大物とはいえ、何の関係があるのか? と思う方もいらっしゃるだろう。
この2人をつなぐ存在が、松任谷正隆さん(64)だ。
 言うまでもなく、ユーミンのプロデューサーでありアレンジャーでありパートナーでもあるが、実はその音楽キャリアのスタートは、吉田拓郎さん。プロのミュージシャンとして最初にかかわった仕事は、あの大ヒット曲「結婚しようよ」のバックでハーモニウムというオルガンを弾くというものだった。 

 そのため、正隆さんの新著『僕の音楽キャリア全部話します』の副題は、「1971 Takuro Yoshida → 2016 Yumi Matsutoya」。
 インタビュー形式でこれまでの全仕事を振り返った同書には、現在では考えられないような豪華な面子の交流ぶりが語られており、音楽ファンには堪らない内容となっている。
 その中から興味深い証言をいくつかを抜粋、引用してみよう。

――1975年以降しばらくつとめていた、拓郎さんのライヴでのバンドリーダーとしての仕事について

「(僕は)フォークやカントリーやブルー・グラスはあまり聴かないけれど、そういうアコースティックの音楽を演奏することは好きです。
 だから、アマチュアバンドではバンジョーやマンドリンも演奏していました。
 それが生かされたのが拓郎のスタジオやライヴです。バンドのイニシアティヴもとらせてくれて、気持ちよく仕事をさせてもらえました。
 拓郎はメンバー編成でも僕の意見を採用してくれたんですよ。
 僕がよく憶えている曲は『春だったね』です。イントロをオルガンで弾いて聴かせて、すぐに気に入ってくれた。信頼されていることがわかるから僕もどんどんプレゼンテーションします。そうやって、レコーディングが進んでいきました。
 拓郎はボブ・ディランのイメージだったと思います。
 そして、僕はザ・バンドが好き。
 ザ・バンドはその初期は、ディランのバックバンドでした。つまり、拓郎と僕はディランとザ・バンドだった。
 拓郎とは、音楽的な感性は必ずしも一致していなかったと思います。
 でも、アーティストというのはこうあるべきだ――という姿勢は、僕に強烈に伝わってきました。歌のメッセージは明確でなくてはいけない。それを再認識させられましたね」

――名曲「中央フリーウェイ」について

「『中央フリーウェイ』は、テレビ番組の企画から生まれた曲でした。TBSの『サンデー・スペシャル』で、1976年に『セブンスターショー』というシリーズをやりましてね、1週間に1人ずつ、7組のアーティストの番組を放送しました。
 第1回はジュリー(沢田研二)で、最終回は拓郎。森進一さんや西城秀樹さんも出演したと思います。
 その番組に『ユーミン&ムッシュー』と題して、由実さんもかまやつ(ひろし)さんと一緒に出演しています。
 番組の企画で、由実さんがかまやつさんへプレゼントした曲が『中央フリーウェイ』でした。
 この曲はね、僕は完成しないんじゃないかと思った。というのも、転調をくり返して、どこへ行くのかわからなくなっているように感じたからです。
 ミュージシャンには、どこへ行くかわからなくなりそうで、しっかり楽曲として成立させられる人はいます。ブラジルのイヴァン・リンスのようなね。でも、ほとんどのミュージシャンは何度も転調していくと、音楽の出口が見つからなくなってしまいます。それで結局完成しない。
 そんな状態に陥って、試行錯誤を重ねた由実さんがついに完成させたのがこの曲です。
 本人はどう感じているかわかりませんけど、僕には奇跡に思えました」

――由実さんとの結婚当初について

「結婚式といっても、けっしてロマンティックなものではなくてね。新婚旅行は熱海にある由実さんの親戚の旅館に行ったんですけれど、拓郎やかまやつさんも一緒に来ちゃって、夜が明けるまで大宴会でした。スタッフもみんな集まっちゃって、むちゃくちゃなことになりました」

 『僕の音楽キャリア全部話します』では、正隆さんがこうしたフォーク、ニューミュージック黎明期の話から、ゆず、いきものがかり等最近のプロデュース作品まで、その背景や人間模様まで驚くほど率直に明かしている。

デイリー新潮編集部