坂上忍「信用は行動で得るもの」 タレントからの突然の借金の申し出に戸惑う

芸能 2016年10月19日掲載

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坂上忍さん

 築地市場移転問題を持ち出すまでもなく、失った信用を取り戻すのが難しいことは、多くの人が知っていることだろう。身に沁みてわかっている、という方も多いはずだ。

 ときに暴言スレスレの発言が物議を醸しながらも、連日テレビで見ない日はない俳優の坂上忍さんは、「信用」についてどう考えているか。

 最近刊行された新著『スジ論』から、坂上さんが「信用」について論じた部分を引用してみよう(以下、同書「『信用』は結果論にすぎない」より)。

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■「ほうれんそう」の徹底が仇に

 他人を信じるのは難しい。だって、そもそも赤の他人なんだから。でも、考え方をちょっと変えれば容易という見方もある。だって、信じた方が良い人っぽく映るし、信じると決めてしまえば、丸投げできるから。

 実は、昨年の暮れ頃にいろいろあった。恥ずかしい話だが、わたしの運転手を務めていたスタッフが、免停を食らった。わたしが乗車中にちょっとした違反切符を切られたのだが、一発免停になるほどのものではなかったので気にも留めていなかった。ところが翌日、免許停止になったと……。事情を訊くと、プライベートにおけるオートバイの運転で、違反を積み重ねていたらしい。なんで、報告してくれなかったのか。ひと言あれば対処のしようはいくらでもあったのに……。

 わたしは報告義務にうるさい。「ほうれんそう(報告、連絡、相談)」は徹底していたつもりだったが、徹底し過ぎたが故に、逆に言いづらくさせてしまったということか? 理解してくれているものと信じていたが、残念な結果となってしまった。

■都合の悪い時こそ付き合いを深めておかないと

 こんなこともあった。ある日、とあるタレントさんからメールが……。読み進めると、「お金を貸して欲しい」と……。

 正直、お金の貸し借りをするほどの仲ではない。というか、金銭の授受が大嫌いなわたしである。ただ、メルアドの交換はたしかにした。何故ならば、わたしがお世話になった方に紹介されたからである。

「まだまだ世間知らずな子ですが、可愛がってやってください」と言われ、だったら、なにかの機会にご飯でも連れて行ってあげようかなとおもい、数回メールをしてみたのだ。

 しかし、今時の子にありがちな、数日経ってからの、しかも「お断り」メールを平気で返す子だったので、その時点でわたしの中では「ない」子になってしまったのである。

 そんな子からの、突然の「お金貸してメール」。みなさんなら、どうしますか?

 とはいえ、ちょっとだけ悩みました。「お世話になった方からの……」がありましたから。お世話になったということは、こちらも信頼しているから身体を預けるわけで、その方から紹介された子を否定することは、その方自身をも自分の中で無き者にしてしまうのではないか? という恐怖心にも似た感情がどこかに生まれてしまい……。けっこう、悩んだかな。

 でもね、やっぱり無理ですよ。それこそスジが通らない。自分の都合でお願い事をするならば、都合の悪い時にこそ付き合いを深めておかないと……スジを通しておかないとでしょ。

■〆切を守るのは信用の入り口

 信用って、なんなんだろう。どうやったら、産み落とせるモノなんだろう。

 おそらく、作為的に創り出せるモノじゃないような気がする。信用はあくまでも結果論で、その人の生き方が、言動が、スジの通し方が、結果として信頼に足るモノと他人が勝手に判断するのではないだろうか?

 連載の仕事を引き受ける。原稿には〆切が付き物だ。内容は度外視して、まずは〆切を守ることから始めるのがスジである。それがあった上でのクオリティの濃淡であり、それ等を乗り越えてはじめて、信用の入り口に辿り着けるのではないか?

 だとすると、わたしは果たして信頼を得られているのだろうか? 〆切は守っている。しかし、その先に進んでいる自信はない。だからこそ、〆切を守り続けるという最低限の礼儀は継続しなければならないのである。誰だって、信用されたいから……。

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『スジ論』は、「週刊新潮」に昨年から連載しているコラムがベース。坂上さんは、超多忙にもかかわらず、連載開始から一度も〆切を破ったことが無いどころか、常に前倒しで原稿を送っており、担当編集者からの「信用」度は満点だという。

デイリー新潮編集部