〈「お言葉」を私はこう聞いた〉左右の極論を排して――三浦瑠麗(国際政治学者)

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 天皇陛下のお言葉をめぐる議論は、日本という国の歴史の中で天皇が果たしてきた役割について示唆に富むものでした。有体に言えば、様々な政治勢力が自分に都合の良いようにお言葉を解釈するという伝統です。

 お言葉の中で際立っていたのは、「個人」として表明された極めて人間的な感情であったと思います。それは、自分が大切にしてきた務めを果たせなくなるという懸念であり、残される家族への不安や労わりでした。伝統の守護者として各種の儀式を執り行い、災害にあっては国民を慰問し、古戦場を訪れて犠牲者を慰霊する。80歳を超えてなお、同じくご高齢の皇后陛下とともに激務を続けられてきたことに国民があまりに無頓着だったのではないでしょうか。

 超高齢化社会において、健康寿命と寿命との間にギャップが生じるのは避けがたい現実です。人は誰しも老いるもの、国民の多くが陛下の懸念に共感を覚えたことでしょう。生身の人間でありながら、同時に、国家の権能をも果たす存在である「天皇の人権」は長らくあいまいに位置づけられて来ました。それは、基本的人権の尊重を重視した日本国憲法の下でもそうであり、日本国憲法と戦後社会の一つの欠陥であったと思っています。譲位を強く示唆する陛下のお言葉には、人間的な心遣いに重きをおいて対応すべきと思います。

 ところが、陛下のご希望をめぐる反応には、心遣いとは異なるところに力点がある意見が多く見られました。左派の一部は、天皇が直接国民に語り掛け、影響力を行使することへの違和感を表明しました。天皇のお言葉について、様々な理屈をひねり出し、安倍政権への批判であり、あてつけであると解釈する意見も広範に見られました。前例のない天皇のメッセージであったことから、発出までには既存のやり方に慣れ親しんだ統治機構と一定の緊張感があったことは想像に難くありませんが、そこに解釈の重心を持ってくる必要が果たしてあるのかということです。

 右派の一部からは、皇室制度へのあらゆる変更を嫌う姿勢が示されました。その姿勢の根源には、彼らなりの天皇制解釈があり、皇室典範が明治以来の骨格を残していることへの親近感があります。また、参院選後、衆参で「改憲勢力」が2/3の議席を得ており、戦後初めて改憲が現実的な政治日程に上っています。保守派には、改憲を通じて天皇を元首として明確に位置づけたい機運があり、天皇という「機関」を自らの政治目的に利用し、国家に対する父権的な権威を復活させたいという発想があります。皇室典範改正の議論を通じて女性・女系天皇容認の議論が再び盛り上がることへの警戒感もあるでしょう。

 陛下のお言葉には、史上初めて「象徴」として即位し、自らが作り上げてきた「国民とともにある天皇」ということに対する強い誇りがありました。陛下が使われた「共同体」に天皇制が内在しており、国民の喜びや悲しみを共有しているという感覚です。それは、近代における国家と直接的に結びついた天皇制とは異なる、古(いにしえ)の民間信仰としての天皇制のあり方をも連想させるものです。

 天皇の権威を政治目的のために利用しようとする一部保守の発想が現在において主流をなすものであるとは思いません。日本の歴史は、しかし、そのような誘因が絶えず存在することを語っています。しかも、一部保守の思惑を否定するロジックが、属人的に築いてこられた天皇と国民との間の紐帯であるとすれば、なんとも居心地の悪いことです。

 日本国憲法は、天皇のあり方を「国民の総意に基く」と定めています。政府は、左右の極論を排し、国民の納得と共感に基づく対応を模索すべきです。ただ、陛下のお言葉により、結果として、一部の右派的なイデオローグと、郷土に根差した伝統的保守を切り分ける効果があったとすれば、それもまた意義深いものであったろうと思います。

「特集 天皇陛下『お言葉』を私はかく聞いた!」より

週刊新潮 2016年8月25日秋風月増大号掲載

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