「シン・ゴジラ」続編は作れない? 庵野総監督の“リアリティ”に疑問も…

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 7月29日の公開から24日間で300万人以上を動員、興収100億円の大台が見えてきた「シン・ゴジラ」。劇中で描かれる官邸や自衛隊のリアリティには、識者からの評価も高い。総監督を務めたのは、庵野秀明氏である。ネタバレ注意。

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「シン・ゴジラ」

 ところで、今、なぜゴジラなのだろうか。評論家の唐沢俊一氏の回答はこうだ。

「最初の『ゴジラ』は、第五福竜丸事件の年に封切られました。日本人が水爆への漠たる恐怖を抱いたとき、水爆実験で怪獣が目覚めるという映画で恐怖が具現化されたのです。また、1954年は高度成長が始まった年で、見慣れた風景が次々と壊されていくイメージとリンクした」

 だが、高度成長が終わり、バブル景気から平成の時代には、「大気汚染や食品添加物のメタファーは、むしろホラー映画の幽霊などだった」が、近年、それが変わったという。

「東日本大震災が起き、福島の原発事故が発生し、人間の恐怖の対象として災害が改めて認識された。われわれは戦争以外の、新しい破壊の恐怖を体験したのです。この映画は明らかに災害映画で、内閣がどのように対応し、自衛隊への命令がどう出されるかということは、自然災害への対応を元にしています」(同)

 3・11の際に主人公と同じ官房副長官だった福山哲郎参議院議員は、

「信頼する複数の人から観るように勧められたのですが、日本政府の意思決定機関の近くにスタッフを常駐させてほしい、というアメリカ政府の申し出を断ったり、凝固剤注入のためにコンクリートポンプ車が活躍したり、副長官を中心に対策チームができたり、驚きとともに当時の記憶が蘇りました。エンディングで都心のど真ん中に佇む凍結したゴジラの姿に、福島第一原発を感じたのは、私だけではない気がします」

 東京工業大学先導原子力研究所の松本義久准教授(放射線生物学)も、

「映画を観てつくづく思ったのは、福島第一原発事故の影響を受けているな、ということ。ゴジラが放出する放射能はもちろんですが、最初に川を遡って東京へ向かう場面など、横転した船や押しつぶされた家屋が津波を想起させます」

■放射線をリアルに見せるには

 リアリティの点ではどうか。松本准教授は昨年夏ごろ、ゴジラに放射線を吐き出す設定があるからと、制作サイドから「放射線についてリアルに見せるにはどうしたらいいか」と相談を受けたという。

「放射線の影響で巨大化することは、科学的にありえません。しかし、現実に忠実すぎてはSFは作れないし、将来は可能になることがあるかもしれません」

 と語る松本准教授が助言したのは、たとえば、

「ゴジラは体内の原子炉でエネルギーを作り、放射性物質を口から出す。それは人類が見たことのない新元素と判明する場面で、科学的な言葉でリアルに表したいというので、“γ(ガンマ)線が検出されましたが、そのエネルギーはこれまで知られているすべてのγ線と一致しない”と言えばリアルに聞こえ、新しいということを簡潔に言える、と伝えました。実際、映画ではそうなっていました。ゴジラの登場で放射線量が上がるという場面では、通常より明らかに高いが、すぐには避難しなくてもよい状況だというので、“毎時0・5マイクロシーベルトではどうか”と答えた。映画でも“0・5マイクロシーベルト”となっていましたが、“毎時”をつけていれば、もっと科学的に正しく、カッコよかったと思いますね」

 一方、違和感を覚えた箇所もあったとか。

「終盤の注水作戦で、“20シーベルト”と言っていた。これは一度に被曝すると、骨髄移植しても助からないほどの線量だし、毎時0・5マイクロシーベルトを測るような線量計では到底測れない。どこでどうやって測った数値だったのかと気になりますね」

■ゴジラも栄養を摂らないと

 また、ゴジラの体内にある生体原子炉では、元素変換細胞膜によって水と空気から核分裂が生じ、その崩壊熱がエネルギーになるので、物を食べなくてもいいのだとか。この仕組みについて、松本氏と同じ東工大先導原子力研究所の助教である澤田哲生氏(原子核工学)に聞くと、

「核融合も核分裂も、それが起きるとき質量が一部無くなって、その分がエネルギーに変換される現象。太陽も核融合エネルギーです。ゴジラが体内の生体原子炉からエネルギーを得て活動しているというのは、原子炉や太陽を生体の内部に宿しているようなもので、そんな生物は地球上でも宇宙でも見つかっていませんが、フィクションならあってもいいかな、と思います」

 そう言う一方で、少しばかり留保をつける。

「でもゴジラも生物でしょう? 有機物でできている生物はビタミンやタンパク質などの栄養を摂らないと、生体を維持できません。また、水と空気だけで核反応しているというのも、ありえません。中性子が必要で、核分裂ならそれを種火にして連鎖反応しないと、エネルギーを継続的に発生させることはできないんです」

■岡田斗司夫氏の“見方”

主な出演者(石原さとみと長谷川博己)

 さて、若いころから庵野総監督をよく知る評論家の岡田斗司夫氏は、庵野氏がリアリティにこだわったというこの映画に、また別の影を見ている。

「ゴジラは最初、蒲田から品川へ向かいます。これは庵野くんの家から(自身のアニメ制作スタジオの)カラーへ向かう道のりだという指摘もある。うつ状態で1年ほど出社できなかったのが、ようやく行けるようになったという姿です。またラストに、石原さとみに向って長谷川博己が“辞めることで責任をとる”という発言をしたあと、一人になって“オレは辞めない”とつぶやく不自然なシーンがあります。辞めて責任をとるというのは宮崎駿監督のことを指していて、“オレは辞めない”というのは“エヴァンゲリオンの続編を作る覚悟ができた”という意思表明なんです」

 この姿勢を岡田氏は「プライベートフィルムを大予算で作っている」と評するが、それは妥協がないこととイコールだという。

「ラストに映し出されたゴジラの尻尾には、小さいヒト型のものがついていました。劇中でゴジラは無性生殖で分身を作り、有翼で大陸間を移動できるという説明がある。つまり尻尾の正体はゴジラの分身で、あと数秒でも遅れればそれらが世界中に飛び立ち、世界が終っていました。アメリカが核を落とす予定だったのは1時間後だから、間に合わなかったし、ゴジラに死があるかわからないという設定だから、核も無駄だったかもしれない。(ゴジラを凍結させる)ヤシオリ作戦が失敗していたら世界は破滅していた。しかし続編を作ろうにも、ゴジラが動き出したら世界が破滅する以上、作れない。庵野くんはそれくらい、一つの映画に完全入魂なんです」

■“オタクならでは”

 もう一つ、岡田氏から読解の鍵をさずかろう。

「牧博士という、ゴジラの存在を知って研究していた行方不明の学者が出てくる。彼は妻を放射能の影響で亡くし、対応が悪かった日本政府を恨んでいた。博士が乗っていたボートにはゴジラの進路が描かれ、博士が作ったゴジラの進路予想図ではないかと言われますが、生物の進路など予想できません。これはこうやって進もうという予定図だと思う。要は、妻を殺された博士が、海に沈んでゴジラの幼生に自分を食わせ、ゴジラになって日本政府に復讐する話でもあるのです。妻を殺したのと同じ“事なかれ主義”の政府であれば、滅んでしまえばいいと」

 こうして、庵野氏の情念があまりに強く押し出されたというこの映画。唐沢氏は、それはオタクならではのものだと、こう語る。

「『シン・ゴジラ』が今までのゴジラと大きく異なるのは、無駄がないこと。70年代、80年代のゴジラには色恋沙汰などの人間模様も入れ込まれていたけど、今回は恋愛も一切描かれていません。これはオタクにしかできない決断です」

 オタクであればこその思いきりが生み出した、純度の高さだというのである。

「特集 興行収入100億円が見えてきた『シン・ゴジラ』トリビア」より

週刊新潮 2016年9月1日号掲載

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