〈生前退位 私の考え〉陛下まさに「鎮魂のとき」――山折哲雄(宗教学者)

社会週刊新潮 2016年7月28日号掲載

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 天皇が「生前退位」のご意思をかためられたことを知り、あらためてその嘆きの深さと熟慮の長さを思わないわけにはいかなかった。戦後70年、そして即位後27年を経た今日、移り行く時代の転変の中で、天皇が国民統合の「象徴」たる地位をいかに安定的なものにするかに心を砕かれたか、そのことを国民の多くは知っている。

 災害地への度重なる慰問、沖縄をはじめとする激戦地への慰霊と鎮魂の旅、恵まれない人々に対する心遣いの数々、その努力の積み重ねはけっして尋常なものではなかった。それは、戦後民主主義の思潮と象徴天皇制の融和の関係を築きあげる上できわめて重要な役割を果たしたのである。

 その象徴天皇が、今日ようやく身心の衰えを自覚され、まさに鎮魂のときを迎えようとしている。生命の平安と沈黙の時間にわが身をゆだねようとされている。その祈りのようなお気持ちがじかにきこえてくるようだ。

 もちろんその祈りにも似た感慨の奥底では、この国のかたちを作ってきた1500年の伝統に思いをいたすことがあったにちがいない。天皇権威が政治権力にたいしてその象徴的性格を担保することができたとき、この国は長期にわたる平和を実現することができたということだ。たとえば平安時代の400年、江戸時代の250年という、世界史上稀にみる「平和」の状態が可能になったのもおそらくそのことと無関係ではないだろう。

 その当代の象徴天皇が、次代の皇位の継承者のために「象徴」の座を降り、この国の将来の平和的均衡の到来を見守りたい、と考えられたのである。「象徴」から「象徴」へ、その速やかな移行のための大仕事こそ、最後に果たすべき使命とお考えになられたのではないだろうか。

 いうまでもないことだが、天皇の「生前退位」という課題に取り組むためには「皇室典範」の改正という難問が控えている。それについてはすでに自民党の小泉政権、民主党の野田政権時代に原案になるような叩き台が作られている。それにもとづいて論議を重ねていくことになるだろうと思われるが、ただこの「皇室典範」の改正についてはさしあたり二つの問題が横たわっているように私は思う。

 一つは天皇の代替りのとき、旧皇室典範では「即位の礼とともに『大嘗祭』を行う」と規定されていたが、昭和22年の新皇室典範ではこの「大嘗祭」規定が削除されている。この国のかたちを考えていくにあたってこんどの天皇の「生前退位」の問題が、伝統ある大嘗祭という儀礼とどのようにかかわるのか、重要な課題であるといわなければならないだろう。

 もう一つは、天皇家という家族には、象徴家族と近代家族という、ときに矛盾と葛藤を抱えこまなければならない性格が内在しているという問題にかかわる。象徴天皇制の安定的な発展を期待する観点からいっても、また世界におけるさまざまな王制の現状を見渡してみても、この問題についてはよりいっそう慎重な配慮と熟考が必要になるだろうと思う。

 先に私は、今日、わが国の象徴天皇はまさに鎮魂のときを迎えようとしているといったけれども、世界のいずれの文明の歴史をひもといても、「王」の鎮魂は同時に「国家」の鎮魂とわかちがたく結びついている問題だということをあらためて思わないわけにはいかないのである。

「特集 天皇陛下『生前退位』 有識者4人に訊いた『私の考え』」より

山折哲雄(やまおり・てつお)
1931年生まれ。宗教学者。2013年、「新潮45」に寄せた論文「皇太子殿下、ご退位なさいませ」が反響を呼ぶ。