お風呂場から寝室まで「明治天皇」と「昭和天皇」の私生活比較――米窪明美(学習院女子中・高等科非常勤講師)

社会週刊新潮 2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号掲載

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 食べて、浴びて、寝る。日々繰り返される当たり前の営みだが、皇居内での話となると想像がつかない。どんな食卓だったのか、どうやって息抜きをされていたのか――。宮廷儀式などの研究を続けてきた筆者が、明治天皇と昭和天皇の「日常」を浮かび上がらせる。

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 驚くべきことに、昭和天皇はお一人でお風呂に入られていた――。

 何を言っているのか、入浴は一人が当然であり、どこが驚くべきことなのか、と思われるかもしれない。しかし、これは宮廷においては決して「常識」ではなかった。明治天皇がお風呂に入られるときには、3人の女官がお供をしていた。お体を洗うにしても天皇は何もせず、女官たちがお世話をしていたのである。

 戦後70年の節目にあたる平成27年、ご聖断を下し、終戦への道を開かれた昭和天皇の存在が再びクローズアップされた。昭和天皇といえば、背広をお召しになった戦後の学者天皇としてのお姿が記憶に残る。戦前戦後を通じて生真面目で誠実なイメージを抱く方が多いのではないだろうか。

 これに対して祖父の明治天皇は、玉座に座り美々しい軍服を身につけ、剣を握りしめた肖像が流布したせいだろうか、威厳に満ちた大帝のイメージがある。

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 近代国家・日本を導いた2人の天皇の公的なご活躍は様々な機会に紹介されるが、その私生活が語られることは少ない。しかしいくら偉大な天皇であっても、日常生活は必ず存在する。そして、その生活ぶりには時代や個性が表れる。

 入浴方法がそうであるように、側近たちの日記、回想録、証言をつなぎあわせてゆくと、皇居の森の奥深くに隠された天皇の私生活が鮮やかに蘇(よみがえ)る。こうした史料をもとに、私は明治天皇の私生活に関する著作に続いて、この度、その昭和天皇版とでも言うべき『天皇陛下の私生活―1945年の昭和天皇』(新潮社刊)を上梓した。日々の暮らしの中にこそ宮廷、そして天皇の本質を解く鍵が潜んでいると考えているからだ。

 節目の年を締めくくるにあたり、2人の天皇の暮らしぶりを通して近代皇室の歩みについて今一度思いを馳せてみたい。まずはお風呂場の様子をさらに詳しく眺めてみることにしよう。

「独浴」されていた昭和天皇はお風呂があまりお好きではなく、週に1回程度入るが、あっという間に出てきてしまったという史料が残されている。空っぽになった御湯殿(お風呂場)をのぞくと、シャボンはあちらこちらへ跳ね、スポンジは隅っこに転がっている状態だったというから、いささかお行儀が悪い。

 対する明治の御内儀(私生活を営む空間)では、日常のあらゆる場面で清らかであることが尊ばれた。清浄と不浄は峻別され、上半身は清浄、下半身は不浄とされた。それゆえ、明治天皇がお風呂に入られるときには3人の女官がお供をして、お体を洗う際には上役の女官が天皇の上半身を、下級の女官が下半身を担当した。

 また、首までお湯に浸(つ)かると、下半身に触れたお湯により上半身まで穢(けが)れてしまうことになる。そこで湯船には少なめにお湯が張られて、明治天皇は半身浴の形式で湯船に浸かられ、後ろに回った女官が手拭いで新しいお湯をかけた。

 さらに湯上がりに一枚の布で全身を拭くと、お体全体が穢れてしまうため、専用の浴衣をまとい水分を拭きとる。

 明治天皇と昭和天皇の御湯殿の大きな違いは、先に触れた通り一人で入るのか否かだが、実は幼いころの昭和天皇のお側にはお付きの女性たちが控え、あれこれとお世話をしていた。ところが学習院初等科卒業後、未来の大元帥としてふさわしい帝王学を学ぶため、東宮御学問所にて5人のご学友と共に「合宿生活」を行う時期になると、女性職員は遠ざけられ周囲を固めるのは男性職員のみとなる。昭和天皇が自身で身の回りのことを行うようになったのはこの頃からと推察される。

 天皇という「システム」が最優先された明治と、皇族とはいえ時代に即して「個」が重要視された昭和。入浴に関しても、その時代ゆえの「天皇像」の違いが浮かび上がってくるのだ。

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